意見表明と情報の受け手
倉下さんのKnowledge Walkersの今日のエッセイ(2024/03/23)
ある人がいるとして、その人がAさんの話を聞いたとする。AさんはXについて懸念していて、Yを実施すべきと主張している。話を聞いたその人は、なかなか危ない考えだなと思っていたとする。
さて、その人が別のBさんの話を聞いたとする。そのBさん人も、Xについて懸念を表明していた。しかし表明していたのはそこまでで、それ以上はなにも言っていなかったとする。すると、何も言っていないにも関わらず、その人はBさんも「Yすべき」と主張しているかのように受け取ることがある。
というよりも、「何も言っていない」からそのように受け取るわけだ。
つまり、その人の中では「Xを懸念している人は、Yすべきであると考えている」という一般化が行われている。その一般化を否定するような情報が提示されないと、勝手に情報の空白が埋められてしまうわけだ。 もっと言えば、Bさんが「Xは懸念しているし、Yすべきだという人もいるが、その考えが正しいとは限らない」というような形で意見を表明していてすら、「Yすべきだと言っていた」と記憶されてしまうことがある。
それくらい私たちは先入観にとらわれて情報を「処理」してしまう動物である。 ikkiTime.icon
ありえるということが怖い😱
自分がBさんだとして、「ある人」に対して、その話題Xについて話すとすれば、どうすればいいのだろうか、と考えると、なかなかにアイデアはない。
「zだと考えている」と肯定文で語れる何かがあれば(そしてそれが鮮烈なら)、正しく理解してもらえるのだろうか。
rashita.icon
その読むものがたとえば記事だとして、見出しで先入観が形成されたら、よほど強烈に本文で主張されていない限り「読み落とし/読み間違い/勘違い」は生まれえるのだと想像します
むろん、すべての人がそれをする、というわけではなく、確率的に発生するということ
記事の書き方として、「絶対に素早く読めない」のようなもってわった文章を提示すると、そもそも「読まれない」ので誤解(「読み落とし/読み間違い/勘違い」)も生まれにくいとは思いますが、万能とも思えません。
SNSなどで、何かしらの記事への言及とコメントを見ていると、本文の主張と真逆な受け取られ方がしているのを見かけることがあるので、たぶんこういうことなんだろうな、という推測です。
ある意味で、「書き手の問題」ではないとは言えるかもしれません
書き手にできることはない、ということではなく、「読む」という行為自体がコンテキストフルな活動なので、文章それ自体の影響が避けがたくある、ということで、あとはどこまでそれを加味するのか、というコストの問題と言えるかもしれません。