一行メモは一行ではない。
一行メモやこざねは、書いた本人にとっては、見た目どおりの一行や一単語ではない。 ある広がりを持って、まわりに念を発している。
https://gyazo.com/ee182600286ad11cb25d6cad33de0005
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https://gyazo.com/cbca829e5b790b10a0ae889fe0410d0b
その一言は、あるイメージの塊を代表して、そこにいる。(こざね法の操作を考えれば、ある意味でそれは当たり前だ)
その一言が、「見出し」的な意味において、一つ上の上位概念として適切な名前であるかはさておき、「代表している」ことは確かだ。
rashita.icon見出し、タイトル、ラベル、という言葉から少しズレた表現として「表徴メモ」という言い方ができるかもしれない。
これを文章メモとして昇華するには、その広がりの範囲を “文章” で表現し尽くして、埋めないといけない。
(これは、苦手な人は苦手だし、得意な人は得意で、好きな人は好きだ。ただし、「好きな人」は、そこに欲がある分だけ、完璧主義にもなりやすい。手が回り切らないことに葛藤を抱いたりとか)
上の図の楕円の部分を、“ことば”で埋め尽くして、内側の領域を画定させることが必要になる。
「……だって、あーでこーで、要求ばっかり大きくて現実的じゃない提案ばかりを繰り返す業務パートナーと、その顔色をうかがって、こちらの作業内容に実績を繰り返すばかりの上司に囲まれていたら、モチベーションが低下するのは当然だろう? 今日は体調の低下も手伝って、デプレッションがハンパない。その気持ちを端的に表して、私や口から飛び出した一言というのが、これというわけだ」
とか、そんなことを楕円の中に埋める。ikkitime.icon