アプリ化する世界への叛逆
Obsidianやimdoneは、アプリケーション独自のデータ形式を作らず、mdファイル(拡張型テキストファイルとでも呼ぼう)を扱い、それを解釈して独自のビューを形成している。
独自のデータと独自のビュー
そうすることで、ユーザーはすべての「データ」の実体(データそれ自体)を自分で保有できる。 
アンチ・クラウド
また、md形式なので、他のエディタで開いたり、軽プログラミングでいじることもできる。
上記のような状態と、逆向きに進む方向性を「アプリ化する世界」と呼ぶことにする。
それぞれのアプリ独自のデータ形式を作り
ユーザーはそれらを直接触ることができず
他のアプリとの連携もシームレスには行えない
という状況。
おそらくソフトウェア開発者にとっては、アプリ化した方が都合が良いことは多いと思う。
ファイル形式をいくらでも拡張できる
囲い込みができる
⇒ikkitime.iconOSごと、ハードごとにアプリケーションを開発し直さなくていい、というのは大きくないですかね
一方で、デイブ・ワイナーさんのOPML・アウトライナーの考え方は、そうした状況とは逆の「ユーザーがファイルを持ち、ファイルにソフトウェアが従う」という状態への志向だろう。かつてのコンピューターはそのような志向性を多く持っていたが、最近ではそれが薄れつつある。
ユーザーにファイルを還すことは、そうした状況(アプリ化する世界)への叛逆と言えるだろう。
+ :データがファイルであり、自分がそれを扱えることの自由さ – R-style