「カード的に書く」以外の書き方
アトミックノートを作る際、私はなるべく情報を削り取っていくイメージで書いていました。おそらく梅棹忠夫の「豆論文」という言葉や、アトミックノートの最小の単位にするという考えに引っ張られていたのだと思います。その結果、Obsidianに書くノートのすべてについて、そうした削り取るイメージの書き方をしてしまっていました。
しかし、ユニットノートとしてアトミックノートを組み合わせて書くことを試してみたところ、むしろ情報を増やす書き方の方がうまくいく感覚が得られました。そしてその方法がエッセイ形式で書く方法でした。
私の場合は書き散らすイメージで文章を書けば、アトミックノートを組み合わせて文章が書けるかもしれないということがわかってきたのです。これがうまくいくのかはまだわかりませんが、アトミックノートとは違う書き方が必要だというのは私にとっての発見でした。
rashita.iconカード法的な情報の運用体制では、以下のような書き方が推奨されます。
豆論文(『知的生産の技術』梅棹忠夫)
断片的に書く(『考えの育て方』倉下忠憲)
Evergreen notes should be atomic(Evergreen notes、Andy Matuschak)
ノートを「アトミック」にする(『アトミック・シンキング』五藤隆介)
以上を包括して「カード的に書く」と呼びましょう。
で、これはある情報運用体制にフィットした形で記述を規格化しようというもので、万能のものではありません。上の記事でtksさんが実践されているように、こうして書かれたものを単に集めただけではひとまとまりの文章にはならないというのが実際です。
では、ひとまとまりの文章になる書き方とはどんなものがあるのか。それも知営においては検討すべき課題でしょう。