嘘聖地
https://www.youtube.com/watch?v=KM4q3u2pGW4
嘘シャニマス聖地がYouTubeに投稿している映像がウジェーヌ・アジェの質感でとても良い。アジェのあの静かな写真は「芸術家のための資料」として撮り始めたわけで、誰かが撮った「芸術家のための資料」によって作られている背景だけを抜き取れば、それはアジェと同じ視点でレンズを向けることになる。 ウジェーヌ・アジェは「芸術家のための資料」として写真を取り始めたわけで、シャニマスをはじめとしたソシャゲやビジュアルノベルの背景は誰かの撮った「芸術家のための資料」によって作られている。そこで嘘の聖地を撮るということはアジェと同じ視点で「芸術家のための資料」を撮ることになる。←ツイートする前の原文
映像には終わりと始まりがあるせいで人間の身体を拘束させ、鑑賞体験を損ねてしまう事が往々にしてあり(そのために映像には具体的な物語が必要だったりするのだろう)、いつ見始めてもよくいつ見終わっても良い絵画と大きく異なる点だと思う。ジェネラティブアートはこの点を払拭しているので嬉しい。嘘聖地はいわば資料映像だ。フッテージ始まりと終わりはあるが、ループしても再生を止めても対して変わらない。この映像たちは絵画に近い。
アジェが「古きパリ」を捉えたように嘘聖地も「古き日本」を捉えている可能性がある。