亀倉雄策
1915年新潟生まれ。大地主の四男で、詩歌や南画に親しむ父の影響で絵画が好きな少年に育つ。その後一家で上京し、旧制日大二中に進学。美術雑誌で見たフランスのデザイナー、カッサンドルの作風に強い感銘を受けた。「図案の先に新しい道があるはず」と確信し、デザイナーを目指すことに。中学卒業後、土門拳・瀧口修造らと親交を深め、昭和10年には新建築工芸学院に入学、バウハウスの影響も強く受ける。その後日本工房(名取洋之助主宰)に入社、デザインのオリジナリティーについてたたきこまれる。 https://gyazo.com/d990bd3ee8d95c43947ba9229277c32e
デザイン懇談会では、シンボル・マークの"指名コンペ"を行うことが決まった。指命されたデザイナーは、稲垣行一郎、亀倉雄策、河野鷹思、永井一正、杉浦康平、田中一光の6人。コンペだが公募ではない"指名コンペ"にしたのは、広く国民に募集し選考する時間がなかったからだ。