コンセプチュアル・アート
コンセプチュアル・アート前史
参考文献:ART SINCE 1900:図鑑 1900年以後の芸術
from: ソル・ルウィット オープン・ストラクチャー
1910年代 マルセル・デュシャンがコンセプチュアル・アートの始祖となるような作品を多数制作
1918年 デュシャンが最後の絵画《tu m'》を制作、制作活動に置いて試みた新機軸を要約する
偶然の使用
レディメイド
写真の「インデックス」という地位
1920年代 ダダイズムやシュルレアリスムへと拡散していく
反芸術であることを本質としたためかコンセプチュアル・アートという面では逸れていく
要出典
バウハウスやモダニズム絵画が興隆していく。
1930-1950年代
デュシャンの沈黙
「芸術を捨てた芸術家」として生前より神話化される傾向のあったデュシャンに批判的な声(ヨーゼフ・ボイスによる「デュシャンの沈黙は過大評価されている」など)
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルセル・デュシャン
抽象表現主義
1950-60年代 ネオ・ダダ
1952年 ジョン・ケージ《4分33秒》
1960年代 モダニズム絵画が完成し崩壊|コンセプチュアル・アートが発明(発見)される
1960年 クレメント・グリーンバーグ『モダニズムの絵画』
1962年 カミラ・グレイ『偉大な実験───ロシア芸術 1863-1922』
構成原理主義(1910年代)が息を吹き返す
ウラジーミル・タトリン
アレクサンドル・ロトチェンコ
若手アーティストに影響を与える
ダン・フレイヴィン
カール・アンドレ
ソル・ルウィット
1962年 第一回フルクサス国際現代音楽祭
1964年 ドナルド・ジャッド「スペシフィック・オブジェクト」
ミニマリズム
1965年 ジョゼフ・コスース《1つおよび3つの椅子》
1966年 マルセル・デュシャン《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ》が完成
没後1年後の1969年に公開される
没後にこの新作が公開されたことで、若手アーティストたちに対して強まりつつあった彼の影響力は絶頂に達する
1967年 ソル・ルウィットの出版物の中にコンセプチュアル・アートが出てくる
ソル・ルウィットが考え出したコンセプチュアル・アート、確かにデュシャンの作品は当てはまる。
だけど直接影響を受けていると言えるんだろうか
モダニズム絵画によって抑制された美術の「問い」という側面が60年代に改めて出てきた?
いや、ソル・ルウィットはアイデアであって問いではないのでは
コスースとかは問いに見えなくもない
ソル・ルウィットは『コンセプチュアル・アートについてのセンテンス』において「コンセプトとアイデアは異なる」といっているので、間違っています。
前者は全体としての方向性を示し、後者はその構成要素である。
異なると言っても相反するという意味ではなく包含みたいな感じか。
ソル・ルウィットは『コンセプチュアル・アートについてのパラグラフ』において「最終的にどんな形を得るにせよ、作品はアイデアから始まらなければならない」と述べています。合ってんじゃない?
モダニズムの絵画にも「絵画とはなにか」という問いがあったのでは。
ソル・ルウィットの考えるコンセプチュアル・アートは少し広い?
デュシャンの系譜としてのコンセプチュアル・アートがたくさん現れたからそれらをまとめる言葉として使われてきたが、ソル・ルウィットはもう少し距離があるようにも見える。
デュシャン系譜はコンセプチュアル・アートのコンセプトの「問い」を置いているもので、ソル・ルウィット作品は「操作」を置いている?
そう考えるとProcessingってのはすごい名前だな
操作と問い以外のコンセプトって置けるのかな。
操作だって「こう操作したらどうなるのか」という問いとも言えるのでは。
そっちの方が自然か。
これってつまりモダニズム絵画の系譜だよな。
ただデュシャンが網膜的と批判したようにソル・ルウィットも「作品の見た目が良くないからと言って、必ずしもそれを否定することはない」としている。
ソル・ルウィットは最初はぎこちなくても後々心地よくなると言っているのが面白い。
コンセプチュアルはパーセプチュアル(知覚的)の対義語である。
ジェネラティブアートはアイデアをコードにしてコンピュータに描いてもらうという点でソル・ルウィット作品ととても似ているが、ソル・ルウィットはコンセプトを固めたあとはそれをアーティストが変更してはいけない(これがコンセプチュアル・アートの定義とまでいえる)とし、作っているうちにどんどんと変わっていってしまうような作り方であればそれは見た目だけが近い真逆の作品である。
コードを描くというのがアイデアを出す行為で、そこから生まれたコンセプトを元に作品を作ったらどうなりますか
まあそれはコンセプチュアル・アートかもしれない。
もちろんジェネラティブアートがコンセプチュアルである必要はない。
ダサい見た目のコンセプチュアルアートがないのがおもんないよなと思う。
よく話題に上がる《コメディアン(2019)》も見た目かっこいいとおもう
これ日本の緑の養生テープだったら生まれてないんじゃない?
wikipediaの写真面白い
https://gyazo.com/0efc7d41f476f721404ed0b4d3afb826
これはコメディアンではないけど、いやこれもいいですね。
まあダサいし。
下二つを考えるとコンセプトが良いと見た目が良くなっちゃうというのはあるのかも
作品の見た目が良くないからといって、必ずしもそれを否定することはない。最初はぎこちなく見えたものが、やがて視覚的に心地よく感じられることもある。
コンセプチュアル・アートについてのパラグラフ
33.優れたアイデアを台無しにするのは難しい
コンセプチュアル・アートについてのセンテンス
だからこそダサい見た目のコンセプトアートを見てみたい。
@hiranok: デュシャンのレディメイドは、実際のところ、何でもいいわけではなく、「泉」は特に造形的な美観が大きなポイントだと思うが、考えてみると、『においの歴史』にある通り、19世紀までのパリでは、窓から排泄物を捨てていたような状態で、1887年のノルマンディ生まれのデュシャンにとって、あの便器は、新しい大量工業製品時代の象徴というだけでなく、少年時代には存在しなかった物体として、何重もの意味に充ち満ちていたのだろう。このサイトを見て、後にル・コルビュジエも、陶器の便器を非常に褒めていたというのを知った。
https://paris-rama.com/paris_history_culture/029.htm
https://gyazo.com/df49de1dfb0d1f0e708375cd3ffc253e
https://ja.wikipedia.org/wiki/泉_(デュシャン)
まあ、やはりかっこいいですよね。
コンセプチュアル・アートについてのセンテンスをはじめソル・ルウィットの文章を読んでるとアイデアが光るタイプの映像ってめちゃくちゃコンセプチュアル・アートにみえる。
(良い)芸術全般に当てはまることを言っているという考え方もある