vol.537 大きさは大事なファクター
2025-06-10
・マクロな事象を認識する存在
・ビッグバンはない
・大きさは比較しないとわからない
・フラクタルという大前提
はい、色々お話ししました。
『これまでご解説頂いた内容を振り返りますと、事象を「認識」するためには、その出来事を俯瞰している者(エゴ)が必要であると理解しておりますが、宇宙の最初期において「陰が多めに配合されたことで力の均衡が崩れ、陰陽が混ざり合い宇宙における創造が始まった」という超超マクロな事象(時間)を認識しているエゴというのがオーム宇宙であると考えてよろしいのでしょうか?』
うんまあそれでいいんだけど、オーム宇宙というか、あれだよね、天之御中主神だよね。
天之御中主神と、月読之大神?それと遊撃手だよね。
遊撃手も上から見てるから、遊撃手はもう離れて見てる人だから。あと誰だろう?
あ、いっぱいいるよ、それは。ラ宇宙の人も見てるし、沢山いるよね。
沢山はいないか。沢山はいないって。沢山はいないけど、俯瞰して見てる人はやっぱいます、それは。
で、我々…古川くんさえも分かんないような人も見てるよね。いますね。
『これまでご解説頂いたことから、時間(事象)というのは真我からの光によって順番に映し出されたフィルムが生成する映像のようなものであると理解しておりますが、そうしますと』
そうでもないんだよ?
(時間は)フィルムが生成する映像なんだけども、それはカルマが映し出されてるだけで、それを認識してるエゴ、エゴが認識しているものが事象であり時間なんだね。
『そうしますと「宇宙の最初期において陰陽の均衡が崩れて創造が始まった」という超巨大な動き(事象)も、実際に宇宙全体が混ざり合い様々なものが創造されているというよりは、そう認識出来るような映像を見ていると理解した方がよろしいのでしょうか?』
これね。多分ですね、ビッグバンを頭に置いてこう想像しておられると思うんですけども、ビッグバンってのはなかったですからね、宇宙全史でそう言ってるでしょ?
今の科学が言って、今の科学もビッグバンってないんじゃないかっていうのは言ってますからね。
ただ、ビッグバンってのは同じです。スーザンさんみたいに、もうビッグバンの印象を、もう頭の中に入ってんですよ、科学者ってみんな。
だから、ビッグバンがないっていう情報が流れてきても、やっぱビッグバンっていう映像があって、そこを元にやっぱ喋ったり、量子力学的な世界想像?を喋ったりしちゃってるわけ。
(ビッグバンが)ないっていうのは説明されつつあるんだけども。
あるいは、その、なんだっけ?望遠鏡ありましたよね。ハッブルじゃなくて、もう1つ新しく出た望遠鏡で(ジェムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡)ずっと遠く見たらですね「あれ?ビッグバンなんかなかったんじゃないか?」っていうような事象も見つかってるということもあるんで。
そういう状況にあってもですね、やっぱし『「宇宙の最初期において、陰陽の均衡が崩れて創造が始まった」という超巨大な動き(事象)』ってあるじゃないですか。
超巨大かどうかわかんないですよ、本当に。超ミクロかもしれないの、それが。
そこはね、なかなか教えてもらえないんだけども。
だからどっちかわかんないし。で、普通かもしれない。
大きさなんてのは、例えばなんか比較してみないとわかんないもんじゃないですか。
だから超巨大つったって、超巨大かもしれないけども、何かと比較して超巨大だって。で、ミクロであっても何かと比較してミクロでないとダメだから。
でも、宇宙の始めってのは他に何もないんだから。
比較もなんもできないんだから、大きさってのは存在しないんですよ。
それは宇宙が分裂して細かくなって、いろんな多様化があって初めて大きさってのが出てくるわけ。
だからね、量子力学で今大きさってのはあんまり問題視されてないけど、重さとか質量とかエネルギーとかしか問題にされてないけども、大きさってのは結構なファクターだと思うんだけどね。
そのうち多分問題視されるんじゃないかな。大きさは大事だと思いますよ。
『実際に宇宙全体が混ざり合い様々なものが創造されているというよりは、そう認識出来るような映像を見ていると理解した方がよろしいのでしょうか?』
映像を見ている。映像を見ている。
うんだから、あれだよね、宇宙の始まりはビッグバンではなかったという量子力学的な、新しい量子学的な認識と絡んでくるんだけども、この辺は難しいよね。
俯瞰してみて、フィルムが流れてるような感じと理解していいのかって言われたら、ま、そうだよって、そうですよと言っておいてもいいんじゃないでしょうか。ということですね。
『このように考えた場合、人間という存在は、オーム宇宙というマクロな時間を生み出している超巨大なフィルムの極々一部に(しかも本来流れているフィルムのコマ数を大分減らして)視点を限定させたことにより生じる非常に小さな・ミクロな映像ではないかという思いを持ちました。』
その通りです。全くその通りなんだけども。
こういうのも大小ってあんまなくて、後でスーザンさんのお話で出てくるように、フラクタルってのがあって、フラクタルっていう大前提があるわけですよ。
大きなものってのは小さいものの反映であり、小さなものってのは大きなものの反映であるという。
だから等価なんですよね。
等価だからこそ宇宙が維持できてるっていう話もあるんで。だからミクロっちゃミクロなんだけど、そうでもないっちゃそうでもないということです。
はい、この話の続きは次回またやりましょう。