vol.433 低次元から見た景色
2025-02-26
・Kazuさんからのお便り①
・1次元の持つ情報
・2次元の持つ情報
・低次元の景色
・0次元とは何か
・飛躍した解釈に対する注意点
こんにちは、こんばんは?いつこれをオープンしてるのいつも。
かわかつ)
おはようございます、朝5時です。
じゃあおはようございますですね。もう直近です。今日が25年、1925年、違う2025年だよ。2025年の1月の19日じゃないかな今日はね。18か、19ですか。来たお便りがこれはKazuさんから来てますね。
2015年の1月15日、ちょっとね去年の9月ぐらいからちょっと飛ばしますけども、これもおいおいやってきますので、まずは「存在と非存在」のお話をなんつうの、どう考えるのって振ったらばーっと帰ってきたんでこれちょっとお答えしておきます
『目風様
宇宙全史の動画解説毎日ありがとうございます。
本日の動画の宿題の存在と非存在のありようについて思いついた点を投稿させていただきます。』
一番最初にリターンが来たのがこのKazuさんですね。
『Aが存在する場合、非存在−Aも存在する。Bが存在する場合、−Bも存在する。以外C等についても同様で片方だけ存在することはあり得ない。』
そうかな?
『その理由は、AもBもCも、−Aも−Bも−Cも同時に0から生まれたものだからで、0は何も無いように見えてすべてを含んだ存在である。』
https://scrapbox.io/files/67c1963a7e1ac5085c65a21f.png
そうすね。生まれたっていうか0を基準にして、位置情報しか今言ってないわけじゃないですか。線分の1次元の話で。1次元というのは位置情報しかないんですよ、実はね。2次元となったら今度は位置情報もあるし、今度は面積情報というのあるんですよ。面積ってのは広さですよね。何平米とかあるわけですよ。
ただそれを例えば2次元で何平米とか知ろうと思ったら、2次元に住んでたら出来ないんすよ。わかるかな。
2次元に住んでたら平べったいからね、線しか見えないんですよ。2次元に住んでたら1次元しか見えないっていうことをね、これはね理解してほしいんですよ。で、1次元に住んでたら、何しか見えない?
かわかつ)
点しか見えない
0次元しか見えないの、点は0次元だからね、点しか見えないんですよ。
その点、0次元から発生したもの。それが位置情報なんだけども、でもこれも位置情報も結局は2次元…ですね。2次元から俯瞰して見てるから一応Aがある、-Aがあるっていうふうにわかるんだけども、ここはちょっと難しいところで。
ちょっとこれ認識の問題、知覚の問題になるから、これは置いといて、とりあえずは先に進みますね。
『同時に0から生まれたものだからで、0は何も無いように見えてすべてを含んだ存在である。』
本当はそう簡単じゃないですよ。0はもうものすごく深い意味があるんですね。
今後、たぶん宇宙全史では0の探求ってのが延々と続いていくと思います。
『真我もこのような特性を持つのかもしれません。0は同じ質量を持つ正反対のものに分かれることができ、』
そんなこと言ってないよね。
『0は同じ質量を持つ正反対のものに分かれることができ、これが二元性ということ。そのためこの世は二元性の世界となっている。』
これちょっとね発展しすぎ。前回説明したのは、さっきも言ったように1次元の世界の位置情報だけの話だから。-Aっていうのは、ただ−4とか−5とか、その位置ね。Xの地点から5だけ離れた、あるいは0地点から−5だけ離れた。絶対値で言ったら一緒なんだけども、というだけの話だから。いきなり何?「0は同じ質量を持つ正反対なものにわかれることができる」なんて一言も言ってませんからね。
自由な発想はいいんだけども、勝手に拡大解釈してもらうと、何の根拠もないのにやっちゃったら駄目よ、やっぱそれは。何で駄目かっていうと、じゃあ質量は何ですか?って、0から質量生まれるんですかって、その辺はわかって言ってるのかって。なんか、飛び越えて話しちゃ駄目だよね。
なんかよくYouTubeはよくやってるよね、なんか量子力学の解説のとき、基本的な、なんつうの?構造、理論?もなしにいきなり飛んじゃって、結論にすぐ行っちゃって自分のもう何発想?発想っていうか、こうじゃないかなみたいな感じで言っちゃうと、これはちょっとまずいですね。この後ちょっともうちょっと詳しくこの辺をお話したいと思います。
はい、さよなら。
0という概念は、数学、物理学、情報科学、認知科学、哲学など様々な分野において重要な役割を果たしています。
一般的に、哲学においても重要なテーマとなっています。
古代ギリシャでは、アリストテレスの自然論において「自然は真空を嫌う」とされ「0」つまり「無」の存在は認められていませんでした。これは古代ギリシャの宇宙観において空間は常に何らかの物質で満たされていると考えられていたためです。また、アリストテレスは、宇宙を有限なものと考えており「無」や「無限」といった概念を受け入れることができなかったという背景もあります。
一方、古代インドでは「0」は「シューニャ」(サンスクリット語で「空」)と呼ばれ、数学的概念として確立されました。
0の発見は、数学における大きな進歩であり、位取り記数法や負の数の概念の発展に繋がりました。
0は「無」や「空」を象徴する数字として、東洋哲学においても重要な意味を持っています。禅の思想では0は無限の可能性を秘めた状態を表すとされています。(ここはもっと数式的に定量化できますが、今はスルーしておきます)
0は一見単純なようでいて奥深い概念であり、数学における基礎的な要素であると同時に、物理現象の理解、情報処理、そして人間の思考や文化にも深く関わっています。0の歴史を振り返ると、古代文明における0の発見から、近代科学における0の応用、そして現代における0の哲学的な考察まで、長い年月をかけて発展してきたことがわかります。
0は単なる「無」を意味するだけでなく、基準点、可能性、そして無限といった多様な意味を内包しています。今後も様々な分野において0の概念が探求され、我々の世界の理解を深める上で重要な役割を果たしていくことが期待されます。ただ、いきなり0を「真我」と特定するには無理があり、そこに至る様々な検証が必要と考えられます。