2021年9月17日
自分が思う、はてな村の人たちが見ていた『集団幻覚』というのは、『文章を書くことによって、アイデンティティの確立ができて、そして、そのアイデンティティはその書き出した文章に宿る』というものだったのだと思う。
幻覚では無いと思うし、ブロガーが書いた文章には、書き手のアイデンティティを推測しうる何かが表出されていると思うのだけど。
最近提唱されているのがALSASである。ALSASは、「ALgorithm:アルゴリズム」→「Sympathy:共感」→「Action:行動」→「Share:共有」の頭文字を取ったもので、ユーザーごとに適した情報を差配するアルゴリズムの仕組みが、重要なコンタクトポイントの座を占めるようになったことを指している。
ここで言われてる「共感」の実態とは何か?
どういう行動を取れば/取らなければ「共感した」と判断できるのか?
いわゆる「ネット」の情報環境がどのように整えられていったか、というあたりのお題。ドッグ・イヤーであるがゆえに現代史としても動きが速く、だからこそ人々の記憶にもうまく定着しないままに〈いま・ここ〉の常態としてしか認識されていない憾みはだいぶ前からすでに。
いまだに「これが定番!」という研究というか書籍には出会えず。
なんというか山川の資料集のような本が欲しいんやぜ。
一度あるウェブコミュニティがある人物、話題、アイデアを嫌うと決めたら、そこでの会話はアイデアの批判から、誰が一番痛烈な非難ができるかの競争になってしまう。(失敗の法則を参照)
2014年公開の文章ですが、数年経過した現在でも通用しますね。X-(