2021年9月11日
今の若い人たちにとって情報流通の手段としてメーリングリストはまあ必要ないやね。他のソーシャルメディアがあればよいのだし。
ソーシャルメディアと書いてみて、SNSとかだと情報発信者や、所属する集団へ伝達してくれる人が誰かわかりやすいから、(MLよりは)安心感を持って使えるかもしれん。
そりゃMLも投稿者の名前やメールアドレスは表示されるのだけど、SNSとかなら誰が誰とつながっているのかまでも可視化してくれるから「ああ、あの人からの情報だね」という安心感はMLより高いのではないかな。
ユーザーがSubredditを立てるには、アカウントは開設後最低30日以上経過していなければならず、一定以上のPositive Karma(他のユーザーからの書き込みに対するいいねやコメントなどの反応により獲得できる)のポイントを獲得している必要がある。
米国ではBBSがまだまだ人気と聞いて正直驚いてるのだけど、この仕組、というかアーキテクチャは優れていると思う。
いいねボタンだけではなく「よくないね」ボタンがある。Redditの表示運は基本「いいねの数ーよくないねの数」で決まるので不愉快な投稿は下の方に表示される。これらの規制があることによって、匿名であっても健全性を保っている。
アーキテクチャ、ということで言えば「2ちゃんねる」ではどんな内容でも書き込みがあればスレッド一覧の上位に表示されていたわけだが、これだと炎上しているスレッドは常にユーザの目につきやすくなり、炎上そのものを助長していた。Redditのやり方だと炎上案件みたいなスレッド(や投稿)はユーザが読みづらくなるので良いと思う。
肉声での対話、面と向かって対峙した上での相互交通の技術も作法も、きちんと保証されていて初めて、それらを超えた言葉の自在性の効果も発揮される。印刷メディアを介した「発言」の位置づけもそのような経緯で歴史的に定着させられ、安定してきた。キーボードとそれに加速され肥大した自意識を介してのべたらにだらしなく放射されるだけの言葉の無政府状態を無責任に称賛してゆく現在の「マルチメディア」論などは、そのような意味で犯罪的な場合すらあると、僕は思っている。
音声によるオンライン・コミュニケーションが他のオンライン・コミュニケーション様式と比べて無視できない程、実践されるようになっている現在、この批評をどう受け止めるべきだろうか。
「ヴァーチャル・リアリティ」が真に日本の社会問題になり得るとしたら、このような「豊かさ」によってもたらされた情報環境の変貌が、国民の中に質の異なる「自分」をそれぞれ存在させるようになっていることでしょう。それはひとまず世代間の軋轢として現象化していますが、しかし別の局面では、たとえば自らのアイデンティティを外部に求める過剰な「国際化」としても現われるでしょうし、また一方では、たとえば「おたく大国日本」的な屈折したナショナリズムの表現としても現われるでしょう。
この論点は、数年前の米国では報告されていて(ダナ・ボイド『つながりっぱなしの日常を生きる』原著は2014年に出版された)そこでは車を利用しないと行けない場所である学校やショッピング・モールの代替としてのオンライン空間(ボイドはSNS「マイスペース」の利用者を調査対象としていた)がある、というものだった。
これは車の免許を持たないローティーンの若者たちにとって物理的にアクセスしやすい場所がSNSのだった(新しく登場したコミュニケーション空間だった)わけで、引用ツイートの場合、日本の事象であるが、コロナ禍で子どもたちの移動が制限される中でオンラインゲームの空間が持つ重要度は増大していくだろうね。