2021年5月3日
動画サイトを視聴できるほどのネット環境ではなかったので、ニコニコ動画をはじめとした文化にアクセスすることなんてできませんでした。そこで起こっている二次創作や、それ以前に語られていたポストモダンも、私には関係ない。地方に住んでいた私にとって、近代は全然終わっていないものなんです。
とくに、ポップカルチャーは一方的に与えられて拝むもので、二次創作文化のような双方向性なんて考えられなかった。
上記はゼロ年代の話なんですが、テン年代、そしてニーゼロ年代に入ってからも状況に変化はないのだろうか?
「Windows95」の発売から、わずか20余年。まるで“魔法”のように世界を繋げ、生活に欠かせないものとなった「インターネット」。
東京の、ないし大都市圏のインターネット史。
コロナ禍の中で訪れることが難しくなっている沖縄を離れていても体感出来るようにと始動した本プロジェクト。
この言葉が、まさにいまの大学生の心情や価値観を最も代弁しているのだと思います。
たった一人(せいぜい数人程度)の学生から聞いた話で、これほど主語のデカイ話をやっちゃってもいいのかね?
立命館大(京都市中京区)は19日から、大阪と京都、滋賀の3府県にある三つのキャンパスで授業を原則オンラインにした。30日までに予定されていたサークルやクラブの新入生歓迎企画も延期に。学生と大学が協力して作った仮想現実(VR)システムもあり、学生らは専用アプリでアバター(分身)を作って情報交換している。
こういう取り組みの効果検証が出てくるのも数年先かね。
その全容や実体がつかみにくい存在でした。彼らははたして何者なのでしょうか。また、その誕生にはどのような歴史的経緯があったのでしょうか。
90年代からゼロ年代にかけてのネットはアジェンダの形成と相互作用、結びつきの場となりました。こういうアクティブさは、雑誌の時代にはなかったことです。
90年代からセロ年代にかけて生じたとされる、「こういうアクティブさ」の内実、その形成過程を知りたいね。