2021年3月24日 ネットカルチャーは「くだらない」のか
平井智尚(2021)『「くだらない」文化を考える ネットカルチャーの社会学』()を読了 著者も「あとがき」で述べているように本書は「続・2ちゃんねる論」の域を出ていないと思われる。
文中の所々にやや控えめな表現が出てくるので、研究者として主張しているのだからキッパリと書いてもいい希ガス。
2ちゃんねる論であってもよいけれど、そのぶんエスノグラフィックな記述をもって増やすとより面白かったと思われ。
あとフィッシャーの下位文化理論とジェンキンスの「コンヴァージェンス・カルチャー」を議論の下敷きにしており、そちらもきちんと理解したうえで本書を再読するとよろし。
五神真総長によるもの。オンラインとオフライン、ヴァーチャルとリアルを社会空間としてどう結びつけていくか、という話だと理解しました。
「サイバー空間における身体性の喪失と復権」や「共感をもたらすエモグラフとしてのemoji」といった見出しに心躍るやね。
五神総長は「サイバー空間における身体性の喪失と復権」と述べておられるのですが、それを議論するひとつの事例として「共感をもたらすエモグラフとしてのemoji」があるんだろなと思います。ただしemojiもコミュニケーションの状況や文脈に依存するため万能ではないとも考えます。
デジタル革新は(中略)既存の仕組みをそのままデジタル化することではありません。(中略)原点にまで立ち返り、最新のサイバー技術を存分に活かし、新たな社会制度の構想と統合とに取り組むべきなのです。
AI研究者の三宅陽一郎によるメタバース解説記事。とてもわかりやすい内容となっている。
最先端のメタバースは「現実空間とメタバース空間を同期する」方向に向かっています。
メタバース空間を構築し、同期するコストを支払えるだけの価値を持つ現実空間はそうそう多くないのでは。つまり渋谷のような大都市、商業地域ならばそのコストに見合うけれど、地方都市ならばなかなかそうも行かないだろう。
商業地でなかったり、人口過疎な地域であってもメタバース空間化(リアル空間とも同期する)をやれるのはコンテンツツーリズムの見地からみて価値がある地域に限定されるのでは、と思う。
技術で止めなくてはいけない悪用はもちろんあるけど、根本的には、悪意よりもはるかに大きな力で“いいこと”をしていく、できることを見せていくしかないんだと思う。インフラやデータを利活用して世の中をよくするため、人間の幸福のために使うこと。シンプルだけど。
村井純先生へのインタビュー記事。めちゃくちゃわかりみあるんですけど、一方で「いいこと」や「人間の幸福」は何なのか、それをどうやって判断していくのか、誰がそれをやるのか、と考え込んでしまう。