ネタ(的)コミュニケーション
社会学者・鈴木謙介の提唱した概念
以下の2冊も参照するとよい
コミュニケーション行為じたいが、それに続くコミュニケーション行為を生起させる契機となる状態、だと言える
「ネタ」という表現はわかりやすいようでいて、その実質を捉えづらいものにしていないか?
「ネタ」を繰り出し、それを追いかけることそのものが目的ならば、つながりの社会性のように自己充足的なコミュニケーション行為だと言えるのだろうか? つまり、目的=ネタがある以上、その目的を成就するためにコミュニケーションが行為として機能するわけで
「ネタ」という情報を交換するためのコミュニケーション行為だと考えるとよいだろう