アローマ
◎形而上の香り
古代の哲学者は、香りについてさまざまな理論をたて、いろいろと考えを述べている。紀前
四世紀プラトンは、匂いは水よりも薄く空気よりも濃く、形成の途上にあるという性質を持つと書いた。この両義的な性質により、匂いは名づけることも難しく、分類も困難である。プラトンの弟子のアリストテレスもやはり、匂いは区別しにくく、色などに比べて定義がむつかしいと書いている。
哲学者はまず、狭い匂いと不快な匂いを区別した。ルクレティウスは、使い匂いおよび快い感覚はなめらかな分子からでき、不快な匂いおよび感覚はざらざらした分子でできていると考え、「感覚を魅了するかたちにはつねになめらかなものがあるのに対し、荒く不快なかたちはすべてさらついたものをうちに含むからである」と書いている。ということは、感覚の印象のうちには、触れることがあるわけである。
紀元二世紀のギリシャの医者ガレノスは、匂いによって脳の反応が違うから、匂いを感じるのは鼻ではなくて脳なのだとし、熱い・冷たい・乾いた・濡れたの四つに匂いを分けた。
古代ギリシャ・ローマ人は、熱い・冷たい・乾いた・濡れたの四つの性質を感覚の基本とする体液説を奉じており、匂いもその枠のなかで理解していた。それによると、甘くてスパイシーな匂いは、熱くて乾いており、腐ったような匂いは、冷たく濡れている。だから、アラビアのような乾いて熱いところは質のよい香料の産地とされ、冷たく濡れた海などというのは嫌な臭いしかしないことになる。前に述べたように、熱い太陽は芳香に結びついていたし、熱を持たない月は悪い臭いと結びつけられていた。気持ちのよい匂いあるいは不快な臭いは、宇宙の秩序の一部であった。
形而上学では、嗅覚や味覚の語彙が知識や智恵を表すときに使われた。ラテン語の sagax は事実、古代人は心や魂、生命力そのものを「エッセンス」としてとらえた。アリストファネスの「雲』のなかで、ソクラテスは「天上の事物に推参いたすためには、この脳髄をひとまず括弧に入れておき、互いによく似た、わが心の微妙なエッセンスとこの空気と混ぜ合わせなくてはならぬ」と述べる。ルクレティウスは、乳香の香りが乳香の塊の一部であるように、魂は肉体の一部なのだ、と書く。匂いを発散させたり、嗅ぐことは、感覚行為であるだけでなく、知識や生命の表現や獲得のモデルでもあった Miyabi.icon美味学でも熱い食べ物、冷たい食べ物の概念が出てきた。
神性と香り
聖人の遺体の芳香は、ふつうの死体の屍臭ときわだった対照をなす。中世では多くの人間が死の匂いになじんでいたことを考えると、なおさらである。金持ちの遺体は香料やハーブを添えて埋葬されることもあったが、当座の間屍の腐乱をくい止めることができただけだった。聖人の遺体が芳香を放ったことを記述したものは疑惑に先手を打ち、香料や香•などは一切使われなかったと断っている。聖性の香りは、死の腐敗から人間を解き放つ神の力をあからさまに示したので
ある。
聖性の香りは、心の腐敗や堕落の臭いとも対照的で、「神にたいしてよい香りを持つ者と、悪臭を放つ者とがいる」と十四世紀の神学者ジョン・ウィクリフは書いている。最悪の臭いは言うまでもなく悪魔の発するもので、むせかえる硫黄の臭いがした。罪はその程度に応じてすべていやな臭いがするとされた。
聖性の香りは宗教から政治の世界まで広がっていったが、教会と国が密接な同盟関係にあった近世以前のヨーロッパでは、驚くにはあたらない。王権は神に授けられたものとされ、その徴しに王は聖油を塗った。シェイクスピアは「リチャードニ世』でこう書いている。
荒海の水を使い尽くしても王の聖油を洗い落とすことはできず、
世俗の物どもの息では
神みずからの選び給いし代理人を退位さすことあたわぬ
自己の匂い 匂いとアイデンティティ