髪の毛食べないで
最初はもっと汚い廃棄物を想像したけどセルフフィルターされた 髪の毛でも十分気持ち悪いのでよし
髪の毛はコントロールできない
どこかで落とすこともある
髪の毛を利用されると気持ち悪い
自己認識に深く結びついてるから
食べる、も気持ち悪いし
(食べるは食べる主体の認識にも関わるので、自分の髪の毛じゃなくても気持ち悪い)
髪の毛遺伝子から臓器作って移植とかも同意なしだと気持ち悪いし
クローン作られたら最悪、という感じがする
でもさすがに
髪の毛勝手に捨てないでは無理だとわかる
私の髪の毛が入った(可能性のある)畑を使用禁止にして、も無理
あなたの、という体験が鍵な気がする
髪の毛を食べないとXX不足で死んでしまう、という生き物がいたら
哀れだな、どうせ捨てるものだしいいよ、と思うかもしれない
あなたの髪の毛だから食べているんですよ、とアピールして来たら
うわ気持ち悪い、と思いやすい
あなたが描いた絵だから評価しているんですよ、という体験を繰り返し繰り返し積み重ねてきたなら、絵に身体性を感じるだろう
勝手に何かされるのは生理的な、理屈に合わない気持ち悪さや恐怖を感じるのかも
実際に利益は脅かされているので、なお恐怖が大きいのでは?
これは、創作物と人格を紐づけて評価され続けた人にしかわからない感覚なのではないか
あなた"が"描いた絵の評価なのか、あなたの絵を描く"力"の評価なのか、は実は区別しにくいのでは
リテラシーがないと、「こんな絵を描けるなんて、XXさんはすごいね!」をどちらにも取れてしまう
芸術の文脈だともっと直接に人格に結び付けて「XXさんの感性は~」とは言われててもおかしくない
論理ではなく認知の仕組みなのでコントロールが難しい