パスカルの賭けとキルケゴールの飛躍
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パスカルの賭けとキルケゴールの思想は、一見異なる文脈から出てきたものですが、「信仰における理性の限界と主体的選択」という点で深い関係があります。以下に両者のつながりを整理します。
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### 1. **パスカルの賭け(合理的信仰の賭け)**
ブレーズ・パスカルは『パンセ』において、「神が存在するか否かは理性で証明できないが、それでも信じる方が得だ」という**功利的な信仰の選択**を提示しました。
これが「パスカルの賭け」です。
* 神が存在した場合、信じていれば無限の幸福(天国)を得られる。
* 神が存在しなかったとしても、信じたことによる損失は有限。
* よって、**理性を超えてでも信じる方が合理的**。
この主張は、**信仰の跳躍**を「損得の観点から正当化」しているのが特徴です。
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### 2. **キルケゴールの「信仰の跳躍(leap of faith)」**
キルケゴールは、信仰を**主体的・実存的な決断**として捉えます。
* 理性では神の存在は証明も反証もできない。
* にもかかわらず、**矛盾や不条理を引き受けて信じるという跳躍**が必要。
* この跳躍は、「真に生きる」ための存在論的な決断。
ここでは、信仰は損得勘定ではなく、\*\*自らの存在をかけた「命懸けの選択」\*\*とされます。
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### 3. **両者の関係と違い**
| 観点 | パスカル | キルケゴール |
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| アプローチ | 功利主義的・合理的 | 実存的・情熱的 |
| 信仰の根拠 | 損得の計算 | 理性を超えた主体的決断 |
| 前提 | 神の存在は証明できないが、信じた方が「得」 | 神の存在は不条理だが、それでも信じる |
共通点としては、\*\*どちらも「理性では信仰は解決できない」\*\*という前提に立ち、そこからどう行動すべきかを考えている点があります。
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### 補足:キルケゴールによる評価
キルケゴールは直接パスカルを批判してはいませんが、**功利的に信仰を選ぶ態度には否定的**です。彼にとっては、**「得だから信じる」ことは真の信仰ではない**。
信仰とは、むしろ**絶望と矛盾の中で、それでも跳ぶこと**なのです。
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もし興味があれば、両者の文献的引用や、ドストエフスキーやニーチェとのつながりも紹介できます。