第3章 人生雑誌の成立と変容――転覆戦略のメディア
1 大衆教養メディアと転覆戦略
とはいえ、定時制や青年学級に通えない青年にしてみれば、人生雑誌こそが教養にふれることができるほぼ唯一の場であった。
求道的な「生き方」「教養」への志向をもって進学組への優位がことさらに叫ばれた背後には、進学組への鬱屈と憧憬が、分かちがたく絡まっていたのである。
人生雑誌は、査読を伴っていたがゆえに、
読者たちの鬱屈の緩和や、優位性の欲求を満たすことができ、
また、こうした勤労青年に人生雑誌は支えられていたのである。
人生雑誌では「実利を超越した教養」が多く論じられたが、そこには「実利に齷齪する進学組」に優位したいというつよい願望が込められていた。
進学組と就職組のヒエラルヒーを反転させようとする志向は、しばしば知識人批判にも結び付いた。
では、知への憧れと知識人批判は、いかにして両立できたのか。
そこにあったのは、知識人が専有する知を奪取しようとする欲求であった。
だが、見方を変えればそれは、知識人(「 進歩的な人々」)によって独占される知を開放し、
大衆層(「 下の方の人間」)がそれを手にすることによって、自ら「今日の社会の階級性」を問い直そうとするものでもあった。
いわば、大衆教養主義に惹かれる勤労青年が交わり、あるいは手にしたのが、青年団・青年学級や定時制、そして人生雑誌であった。
2 教養雑誌の衰退と見えなくなる格差
人生雑誌の衰退のうえでは、高校進学率が高まったことも大きかった
消費や娯楽が日常生活に浸透したことで、定時制高校で学ぶ意欲が冷まされている状況が浮かび上がる。
それが人生雑誌の衰退とも重なるものであったことは、容易に想像できよう。
大学の威信低下は、転覆の対象が相対的に卑小なものになったことを意味する。
3 断片化する教養
裏を返せば、大学キャンパスや若者文化において教養主義の風潮が薄れつつあったなか、総じて前の時代に教養主義をくぐった中高年に支えられていたのが、当時の大衆歴史ブームであった。
「かつての若者」たちの教養への憧憬・関心は、「昭和五〇年代」の大衆歴史ブームのなかに溶け込んでいたのである。
歴史ブームという形で「昭和五〇年代」に引き継がれた大衆教養文化は、
かつての勤労青年の「就職組的発想」にも通じる反知性主義的知性主義を内包していたのである。
『プレジデント』も二〇〇〇年代に入ると歴史をテーマにした特集はほとんど見られなくなり、特集「大公開! なぜか夢が叶う人の「 行動計画」」( 二〇〇五年一月号)といった実利的なテーマが目立つようになった。
折しも、一九六〇年代までに大衆教養主義をくぐった世代が定年を迎え、社会の第一線から退くようになる時期であった。
しかし、大衆歴史ブームには、ときに知識それ自体の消費に閉じる傾向も見られた。
#「勤労青年」の教養文化史