プロローグ 「格差と教養」の時代
「実利を超えた教養」への共感
では、かつて、教養主義的な価値観はなぜ、映画のようなポピュラー文化においても広く共有されていたのか。
そして、それが消失したのはいつ、なぜだったのか。
勤労青年と大衆教養主義
では、こうした勤労青年の教養文化は、いかなる社会背景のもとで盛り上がりを見せたのか。
だとすれば、戦後の農村社会のありようや、都市部への人口移動、労働状況の相違等々が、農村部・都市部それぞれの教養文化をどう規定していたのか。
また、人生雑誌はあくまで雑誌メディアであったがゆえに、定時制や青年団のように人々が実際に集う場を必要としなかったわけだが、そのことが勤労青年の教養文化をどのように下支えしたのか。
本書は、こうした問題意識を念頭に置きながら、戦後日本における勤労青年の教養文化の盛衰プロセスとその社会的な力学について、検討していく。
「まじめな勤労青年」の不可視化
では、かつてはなぜ格差と教養が接合し得たのか。こうした状況は、いつ、どのようにして消え失せたのか。
「格差と教養」の問いと現代
しかしながら、現在はそうした状況にはない
「たとえ学歴はなくとも、文学や社会科学にふれなければならない」という意識は、社会的に共有されているわけではない。
さらに言えば、本書の問いは「フェイク・ニュース」「ポスト真実」が多く言われる現状を捉え返すことにもつながるだろう。
本書はこれらを念頭に置きつつ、戦後の勤労青年の文化史を素描し、大衆教養主義ひいては「格差と教養」の関係性がいかに変容していったのかを明らかにしていきたい。