エピローグ 格差と教養の乖離
むしろ、「進学者そのほかからとりのこされたという感情の補償」を求める心性が色濃く見られ、そのゆえに彼らは教養を求めようとした。
それに対して人生雑誌では、進学組の優位に立つことが、それなりに意識されていた。
そのことは、実利や試験のための勉強に 齷齪 する進学組への優位を感じさせた。
言うなれば、「教養への憧れ」ばかりが可視化されていたのが、人生雑誌だった。
そこには、反知性主義的知性主義も浮かび上がっていた。
こうした大衆教養主義には、「格差と教養」という問題系が浮かび上がっていた。
進学できなかった鬱屈は大きかったが、そのゆえに、実利に齷齪する進学組に負けまいと、
「真実の生き方」を模索し、その延長で文学や思想、哲学にもしばしば関心を広げていた。
逆に格差のゆえに教養に接近したのである。
戦時期に学問の自由が抑圧され、自由主義やマルクス主義が弾圧されたことが、
戦後の高等教育や教養主義に「殉教者効果」をもたらし、
大学ではリベラリズムやマルキシズムに基づく教養主義が再び広がりを見せた。
彼らを取り巻く社会の矛盾と進学をめぐる鬱屈が相俟って、勤労青年の教養文化は紡がれていた。
それは、人文知を下支えする大衆的な基盤の喪失ということに尽きるだろう
だが、「ノンエリートの青年層が「 短期実利に直結するのではない何か」 をどう学ぶべきか」という問いがあまり顧みられていないのも、また事実である。
#「勤労青年」の教養文化史