何者と都市と地元
ピュアに誰かのために始めた事業が、自分が「何者か」になるための道具に成り下がった。 眼の前の相手の大切な思いを、「何者か」評価するために使った。
何かを選ぶとき、「何者か」になりたいから選んでるのか、善いとか美しいと思っているから選んでいるのか。どっちが正解とかはないんだと思います。
だけど、どっちで選んでるかを自分自身だけは知ってる。誰かに改めて言う必要なんてないけど、それがとっても大事。
@Shimpe1: SNSを使う現代人であれば、誰もがぶつかる問い。「何者かになりたい」... 読んでるほうが恥ずかしくなる裸のブログで最高。わかる。。… https://pbs.twimg.com/media/F0UwqORaUAAwhkh.jpg
toshi.iconアイデンティティは過去、世界ではなくローカル いい言葉だ
僕は地元の富山に関わらせてもらって本当に人生が肯定された気がする。家族や地元のルーツを知り、自分が何者か分かった。その中で役割が見えてきた。 都市部のビジネスマンの多くは、コピペに溢れた情報世界を生きるからしんどくなる。僕よりも地元の友達のほうが、年に一度の祭りや家族の時間を大切にしていて、自分という人間にとって、何が大事かよく分かっているんだろうな。 そして、地元に関わることで見えてくる評価軸以外の世界、土と風の世界。 これがいかに大事か
数値化はできないもの