養老孟司先生の概念と感覚の話
https://www.youtube.com/watch?v=7EIxG0eTUjQ
おもしろかったのでメモ
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自分の理解
概念
「(違うものを)同じにすること」
抽象
感覚
「違うものだと(同じものはないと)感じること」
具象
概念と感覚
感覚が大事
違うものを、違うと思えること
倫理
概念として扱う=感覚を無視する=倫理を無視するということ
なんでもありになってしまう
例
りんごとみかん
りんごとみかんは違うものだけど、果物という概念としては同じ
りんごアレルギーだけどみかんは食べれるという人に対して、果物だから一緒だろといってもしょうがない
葉っぱ
葉っぱは1枚1枚違うものだけど、葉っぱという概念としては同じ
自然に同じものはひとつもなくて、感覚で溢れている
方程式
数字と文字は違うものだけど、数学の方程式という概念の中では等しく扱われる
算数から数学の方程式になると、途端にわからなくなる人がいる
人とコンピュータ
コンピュータが人に似てきているっていうけど、それは間違い
人はみんなそれぞれ違う
人同士は本当の意味でわからない/わかりあえない
「人間ってこういうもの」といっているようなもので、傲慢
人がコンピュータに似てきている
人間はいろんな状況に合わせることができる
これが「概念」
概念で解釈して、感覚を失ってきている
コンピュータ以外にも、官僚、カラオケ……
感覚を取り戻す
実体があるもの
りんごとみかんは実際に食べてみれば感覚として違いが分かる
自然に触れることで同じものはないということが分かる
実体がないもの(概念しかないもの)
正義、公平……
概念の話でしかない
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自分の感想
抽象度の上げ下げの話なのかな
プログラマはそういう仕事なので、けっこう響いた
ものごとを抽象的に(概念で)解釈すれば扱いやすくはなるけど、個人や機微は無視されてしまうという恐ろしさがある
数学の方程式の話が例に挙げられていたけど、方程式→プログラミングで躓く人も多いという話を思い出した
「=」の意味が違う
数学
イコール
プログラミング
代入
プログラマは「抽象(概念)」を扱う仕事だけど、「=」に疑問を持たないことがプログラマとしての第一歩なのかも
感覚の消失
コンピューターになっていく……
とはいえ、感覚があっても困ることがある
プログラマの障害対応とか
たとえばシステム障害で100万人のユーザーに影響がでています!みたいなことが起こるけど、ユーザー一人ひとりの顔や生活を思い浮かべてたらメンタルやられる
しらす
大量の命をいただく……
昔、「しらす丼はいっぱい魚がいて怖い」って姉に言ったら笑われたことがある
しらすを平気で食べれるのも人間的だし、食べれないのも人間的だなと思う