タタール人の砂漠
読書日記
そのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった。その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過ぎて行くものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。物珍しげに周りをみなければ。。。。
人生そのものへの本であった。狂気的な生き方、をやはり僕はしないといけないのだと思った。
読了後の心の揺さぶらようは、これまで読んだ小説の中では罪と罰、限りなく透明青と双璧をなすトップレベルで凄まじいものであった。なんかすぐにうまい言語化は語彙力不足でできないが。
雑感
無念さ
何十年と待ったその時がきた時に何もできない。
死への向き合い方
死に際の捉えようは自分次第。正直に言って、ドローゴの生は何も面白くないものであったが、彼は死に向かうにあたって死としっかり握手したのである。逃げるのでもなく、敵対するのでもなく、にっこりと笑って死と向かい合ったのである。僕も含めてほとんどの人の生は、ドローゴと同じようにとるに足らないものであるだろうから、この態度というのは、参考になる??
時がすぎることに対する向き合い方
時間は一瞬ですぎる。青春はいつの間にか終わる。気がつくと壮年になり、壮年の男は気づいたら老人になる。
孤独と自己愛について
結局人間はひとり。
だが1人だと思わなくてもいいような気がした。これを前提にすると、どんどん自分だけになっていく。自分を深掘り続けるのはいいのだけど、果たして今後どうなるのか。周りの人たちともっと一体化してもいいのではないか。人間をもっと根底から愛せるのではないか。
第一感、この本を読んだ多くの人が自分の人生をドローゴに投影させ、こうはなりたくない、もっとしっかり生きねばなどと思う気がする。僕もそう思った。だがどちらかというと、この本の示唆はそこになるのではなく、捉えようによっては全ての人はある種ドローゴと同じで取るに足らない生を営む一般人Aであり、それを踏まえて死にどう立ち向かうか、生に向き合うかというところにあるのではないかと思った。死と生は対極にあるものではないのだから。