遮蔽縁が創り出す包囲空間の奥行き ─ 絵画における空間表現の研究 ─ のメモ
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jep/8/1/8_33/_pdf/-char/ja
Overview
本研究の目的は,包囲空間 (ambient space) という概念 に焦点をあて,包囲空間に関する生態学的な研究法やその 枠組みについて考察し,遮蔽縁が包囲空間の奥行きを創り出すという理論的な提案をおこなう
包囲空間
ある多様体 (manifold) が存在したとして,その多 様体がまた別の多様体の部分多様体となっているとき,包含しているほうの多様体が,部分多様体に対する包囲空間になっているということができる
本研究では,空間と環境とを対立概念として規定しない. むしろ包囲空間を,包囲光配列によって構造が特定された 環境の一部であると,ギブソニアン流の表現に置き換えて 捉えている (cf. 佐々木,2007).そのうえで本研究では, 包囲空間を,自己の周りをとりまき,自己の運動に相対して,運動しつづける空間であると定義して,これ以降の議論を進めたいと思う. これは後に詳述するように,絵画によって表象された空間と,絵画そのものを存在せしめる空間 (環境) とを,断絶して扱うのではなく,包囲空間という概念のもとで地続きとして扱うための方策である.
包囲光配列
ギブソンの定義として、生態学における環境の概念は、様々な構造化された面の集合
その空間では光は無数に散乱しているもので、その時どの面においても散乱した無数の光で満たされているのだとする
これを包囲光配列と呼ぶ
>包囲空間とは,包囲光配列によって構造が特定された環 境の一部であり,自己の周りをりまき,自己の運動に相対して,運動しつづける空間であると定義した.
遮蔽縁
絵画は 2 次元平面上に表現されたものなのに,なぜ,そこに 3 次元的な奥行きや空間をありありと想起すること ができるのかという問いかけが,絵画をめぐるパラドクス として語られてきた.
佐々木 (1994) によれば,1940 年代終わりから 1950 年代の初めにかけて,環境内での見え方の実験に没頭したギブソンは,肌理の勾配が奥行き知覚の刺激には必ずしもなりえないことをつきとめ,むしろ対象の重なり, “一つの面の上にあるキメではなく,前の面と後ろの面が なすレイアウト(配置)が問題となる”ことに気づいたという.すなわちギブソンは,隠す面と隠れた面のレイアウ トの知覚が,奥行き知覚をもたらすものだと考えるように なった (cf. Gibson, 1979).この考えは,遮蔽縁 (occluding edge) の発見によって理論的にも強化されていった.
遮蔽縁の構造が,光学的な面性をもった奥行きを知覚さ せることがあるという発見は,ギブソンがその後,光の情 報を包囲光配列として定式化し,アフォーダンス概念を導 き出していく契機となったと言われている
絵画における奥行きの表現派閥をイリュージョニズムと呼ぶ
包囲空間の観点における、イリュージョニズムとモダニズムの対比
(モダニズムについて) “絵画的と彫刻的と建築的のいかん を問わずその形式を周囲の空間の不可欠な部分とするこ と”のなかの“周囲の空間”の原語は “ambient space” で ある.すなわち,グリーンバーグは,作品それ自体が包囲 空間の一部に組み込まれる形式を持つことが,イリュージ ョニズムに対するモダニズムの抵抗手段であると主張し ていると考えてよい.
奥行きから図と地へ
遮蔽縁による奥行き知覚の研究は、図と地という区分、 図と地の関係性を問いなおすことにもつながると考えられる.
しかし包囲空間の定義からして,それは対象の後ろだけでなく前をも,すなわちその全体を取り囲んでいると捉えられなければならない.包囲空間を 包囲光で満たされた媒質的な空間として捉えるとき,図と 地という二値的な方法で空間を表現しようとするのは,あまりに乱暴であるといえる
ギブソンは,環境は,媒質 (medium),物質(substances) と,両者を分かつ面 (surface)として適切に記述されると述 べている (Gibson, 1979).通常,媒質とは我々生き物にと って“与えられている”環境であった.しかしながら絵画 において,芸術家は,物質を切ったり,塗ったり,貼ったり,回したりして面のレイアウトを操作することで,媒質 感そのもの,それは空気であったり水であったり,雰囲気 と呼ばれるものであったり,を創出することができる. 佐々木 (2003) が,“周囲”ということばに託して言おう としていたことは,つきつめれば,芸術家の媒質感の創出 のことだと考えられる.
つまり伝えるもの
この芸術の二重性が包囲空間構築の前提になっていると考えられる.芸術作品には必ず表現の場の枠が定められている.例えば,ギブソンが言うように,観察者の視野はどの瞬間においても立体角の半球のほとんど を占めているため,絵画が観察者の視野全体を満たすことはあり得ず,絵画は絵画ではない何かによって常に囲まれている (Gibson, 1982c). したがって観賞者は,2 つの全く 異なる視覚的経験をするといえる.絵画経験でいえば “我々は画像の面と画像の中の面とを区別する”ように (Gibson, 1979, 邦訳 p.299),作品それ自体の表面に刻まれた肌理を直接的に知覚することと, 作品の中で表現しようとしていることに間接的に気づくことの両方を同時に経験する.