見せかけの主張と実態との不均衡に付け入る
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見せかけの主張と実態との不均衡に付け入る
一九八七年六月一二日、レーガン大統領はベルリンのブランデンブルク門でこう呼びかけた
ゴルバチョフ書記長。あなたが平和を求めるなら、ソビエト連邦と東ヨーロッパ諸国の繁栄を求めるなら、自由を求めるなら、ここへ、この門へ来なさい。ミスター・ゴルバチョフ、この門を開きなさい。ミスター・ゴルバチョフ、この壁を壊しなさい この演説は、西側のヨーロッパの人々に向けられたものだった
1. 人々の自由な移動を認める政治体制
2. 市民を有刺鉄線とコンクリートで閉じ込めようとする体制
不均衡をことさらに強調し、崩す力を解放する
これなんのほんだ...?
レーガンが一九八三年に同様の挑発をユーリ・アンドロポフに対して行ったときは、ほとんど効果はなかった。だがゴルバチョフがソビエトを自由化すると明言しながら現実と相違したとき、両者の乖離は著しくなり、レーガンはそこを突いたのである。