共産主義的な「OSS」という概念は、今や資本主義的
public.icon
/emoji/twitter.icon この問題意識と思索が重要であることに変わりはなく、俺がこれから書くのは揚げ足取りである。「無料ではなく自由を」にOSSの話がでてくる。ここでOSSは共産主義的な夢であり、現実としては資本主義が勝った、みたいな対比になるわけだが、いやいや、今やOSSは資本主義的とすら言えると思う。 /emoji/twitter.icon OSSは無料だから使うのではない。再生産を避けて、蓄積された信頼性のある巨人の肩に乗りたいから使う。だからOSSの信頼性=技術水準や継続して開発されていることが重要である。枯れている技術が安心なこともあるが、インターネットの現在、回線の向こう側には無限の邪悪が待っている。 /emoji/twitter.icon OSSの価値とは持続性と信頼性、つまりコミュニティにある。その倫理、正義、あと体力とかムードとか、人間とか、割と生々しいところが大きな価値で、そうなると金のある会社の提供するOSSは自然と信頼性が高くなってしまう。facebookはゴミだが、金があり技術があり、コミュニティが信頼できてしまう。
/emoji/twitter.icon この特性はOSSをイデオロギーの浸透として機能させる。マイクロソフトのMUIとかもそうだ。無料で有益なものを提供することによってその美学が適応される。貢献であり同時に投資であり、これはプラットフォーム的な在り方だ。プラットフォームと無償労働の話は『無料とは何か」でさんざ行われている。 /emoji/twitter.icon だからまあOSSには資本主義的な側面もあるよ、と指摘したところで別に本論の筋書きは変わらないし、これは単なる揚げ足取りである。物理層の土方仕事はどうすんのよ、などもあるにはあるが。かように現実と理論は乖離するわけで、だからこそ東浩紀の思索が現場に到達したことが凄まじいわけです。