ワナビーとモノづくり好きの区別
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大学教員8年目やってるとワナビーとモノづくり好きの区別がつくようになってくる→「へえ,〇〇がやりたくて大学に入ってきたんだ,でなんで今まではやってないの?」(次週)「え,どうして今週できなかったの?」|落合陽一
「ピアノを弾いたことがない人」は「ピアノを弾きたいと思って(弾いたことのないまま)音大のピアノ科に進学するようなことはない」ように,コンピュータがありふれた現代において,「コンピュータの研究がしたい/メディアアートが作りたい」人は「研究したい/作りたい」と思ったらその時点で作っている.
しかし「作りたいんですけど!」という人はすでに対象を知っているからこの前提には含まれない.(時代の巡り合わせもあるがあまり割合は大きくないと思う,上記は日常に対象物がある分野に限るかもしれないが,私がいる分野である計算機周辺のインタフェースに対する工学的アプローチやそれを用いた芸術表現というものの限界費用は下がり続けている)
もし,作りたいと思って作ったことのない人や研究したいと思って研究したことのない人は「結果の評価や自己実現」に憧れているだけで実験結果や実装そのものそしてその過程に興味があるわけでも好きなわけでもない.
やりたいことがあるならやってるし,止められなければ作り続けているのだから,そうじゃない人はそもそもモノづくりをそんなに好きじゃない.寝ても起きてもやってしまうことが好きなことだろう.うっかりやっちゃうやつである.(査読が進まないのは他の制作/研究が楽しいからである… 査読が止まらねえ! という論文もたまにある)
止まらないかどうか,漏れ出るほど作ってるかどうか,これは大切なことである.この世界を生きてることに興味があるか,一瞬一瞬を集中して楽しんで生きているか,寝るときには限界を迎えているか,その繰り返しを生きているかがとても重要だと思う.その中に研究やものづくりがある人なら,「すでにやっている」のである.逆にそれ以外の人々とはどうしても研究のずれが生まれる(そもそも目指しているところが違うのだと思う)