アーレントによる人間の社会的な行為の3分類
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アーレントによる人間の社会的な行為の3分類
ハンナ・アーレントは、人間が行う社会的な行為(アクティヴィティ)を三つに分類している。活動(アクション)と仕事(ワーク)と労働(レイバー)である ★ 35。そして彼女は、「活動」と「仕事」は人間の生に意味を与えるが「労働」は意味を与えない、にもかかわらず現代社会では労働が優位になっているのが問題だ、と議論を立てたので アーレントは、古代ギリシアのポリスを公共性のひとつの理想だと考えた。「活動」はそんなギリシア市民の政治的な(ポリス的な)行為をモデルに考えられた理念型である。それは具体的には、広場=公共空間(アゴラ)にすがたを現し、演説をし、他人と議論するといった言語的で身体的な行為を意味している。 二一世紀のいまであれば、議会への立候補や政治集会での演説に加え、市民運動に参加したりNPOで社会奉仕を行ったりするような行為を広く指す言葉だと理解すればいい。
対して「労働」は「人間の肉体の生物学的過程に対応する行為」である ★ 37。生物学的過程に対応するとは、つまりは、そこでは身体の力だけが問われるということを意味している。それは現代で言えば、コンビニやファストフード店のバイトのような、だれが行っても同じで、人数と時間のみで換算される賃労働を名ざしている。 そしてここで重要なのが、アーレントがこのふたつの概念を、行為者の 固有名性 に注目して対置していることである。固有名性とは、ひらたく言えば「顔」「名前」の問題のことである。アーレントは、活動においては行為者の固有名性が決定的に重要だと考える。実際、政治家の演説において重要なのは、なにを述べているかという内容よりも、むしろ だれが その演説をしているかという「顔」のほうである。他方で労働では顔や名前はまったく重要ではない。工場労働者やバイト店員は匿名の数にすぎない。実際、コンビニに商品を買いに行くときに、だれがレジの担当者かを気にする消費者はほとんどいないだろう。どの店舗かすら気にしていないかもしれない。労働においては、アーレントの言葉を借りれば、顔のない「生命力」が売買されているにすぎないので
自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を現す
匿名でもアイデンティティは出せる みたいなのは一つのヒントになりそう?tkgshn.icon