「選択できる余地があるか」が富の格差の本質
選択できる余地があるか、が富の格差の本質だと思う。さまざまなルポを読むたびに「携帯電話が命綱」という記述が出て来て、生存インフラの要求レベル拡大を感じる。そしてあるカテゴリでの上下差の幅は、そのカテゴリの性質に強く依存するから一概には言えない。最高級自転車は100万円。 https://t.co/5fE4Mk1Gbt 買おうと思ったら何でも何台でも買える。あえて3万円の自転車を選ぶこともできる(7,980円の自転車は全人類が買っちゃダメです)。自転車に限らず何でも選べる一方で、余裕がない人には選択の余地が無い。結果的に実装したセットに差が小さいことは、富の差が小さいこととイコールではないのです。
続)とにかく「選択の余地が無い」状態が「貧しさ」の原因であり結果でもある。新しい中古のミシンに先行投資できただけでも仕立て屋には未来がある。自分より年若い客が牛乳屋テヴィエを観て「愚直に働けばそこそこは幸福になれるっぽい」なんて感想を抱くとしたら、それこそが貧困なのだろうと思う。