ochyai
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ポジションを取れ.批評家になるな.フェアに向き合え.手を動かせ.金を稼げ.画一的な基準を持つな.複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ.あらゆることにトキメキながら,あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ.明日と明後日で考える基準を変え続けろ.
明後日のことを考えるまえに明日のことを、そして今日のことを、願わくばそれが地続きであるように、今を起点として、見通せることを
他人が価値がないと思っている間にそこに価値を見出せ.
できれば,10年くらい後に価値があったと言われるような仕事で波状攻撃を仕掛けて,長い時間をかけてポジションを取らない批評家を駆逐しろ.
成人の日なので,一言言えば,
現場で遠くを考えることが大切だし,両義性を保ちながらポジションを取れる頭の柔らかい大人になってほしい.常に「なんで?」と聞けるのは大切なこと.手を動かすとき考えるとき,不健康なとき健康なとき,満ち足りたときハングリーなとき,状況を極端に振りまくって.
手を動かせ,物を作れ,批評家になるな,ポジションを取った後に批評しろ,声明を出せ,それは手を動かして物を作るためのプロパガンダだ.
結局のところ、フレームや目的に咲いて聞かされてない僕の目指す姿になりたいのであって、
本を各執筆者になりたいわけでもなければ、論文が引用されるかされないか、学会で評価させるかされないかに一喜一憂する研究者になりたいわけでもない。
ましてや他人から賞賛されるインフルエンサーになりたいわけでもないし、お金を稼ぎたいわけでもなければ、社会システムを改革したいわけでもない。
こういった観点を語弊のないように補足しておくと、面白そうなフレームと目的が決まればそれを達成するのは大好きだし、その目的に応じて自分を最適化するのは好きだ。
まだ見たことのない地平を作るような高まりを感じ、僕が自然の中にいる時に感じる柔らかで滑らかな持続感を持ちながら、目的と活動するフレームが決めて、それを行なっていくのは楽しい。
例えば、起業家としては人の役に立つこと。社会の中でみんなが生きる日々の生活を支えたり、事業を拡大したり、より良い循環をもたらす経済活動を行うこと、それに自分の持てる能力を使うことは快感だ。また、研究者として論文を書いて知を広めることや後進を育てること、研究の中で未だ知に還元されていない多くの技術や発明を繰り返すことでそれを体系化したり社会に役立てたりしていくこともご飯を食べるより好きだ。本を書いているときもそれを読者に届けたいと思って書いてるし、国プロと関わる時にはどうしたらより良い社会を実現するための研究は発見や教育やエコシステムを構築できるか本気で頭を使っている。それらの役割やピースは僕を構成する個別の要素であって、フレームや目的に最適化された自分である。その自分に有限な時間が使われていくことにそこまで抵抗はない。誰か困った人がいれば助けたいと思うし、何らかの課題があれば常に解いて見たいと思う。それは能動的ニヒリズムの中に身を置く自分が生きる喜びの一つだからだ。「デジタルネイチャー的自然派」の社会彫刻を愛するアーティストなのだと思ってくれればその理解はしやすいのだろう。要は社会彫刻を刻んでいる時、見えている未来ビジョンと比べた時の差異を何とかしてでも埋めたい。どうにかしたいと思いながら毎日生きているのである。
ただ一人の求道者としての落合陽一はどうだろうか、僕は作品を作っている時や研究をしている時は、誰もいない世界でほっておかれてもずっとやってると思う。まだ見たことのないものを見たいし、それを愛でている時の快感はとても大きいからだ。