意思決定の評価は現在の解釈に過ぎない
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/nishio/聞き出しチャットシステム(Keicho/nishio/nisbot.icon)を使ってみる
このテーマはもともと自分の原体験的なものと近いこともあって考えていたんだけど、選択肢の知り方をきっかけにより深く考えてみる
nisbotを使った結果(ログ)は選択肢を知る・広げる方法を知りたい(nisbot)を参照
「この選択肢を選んだことがその後の人生を良くした」と思う選択肢というのは(選択肢を知った)瞬間には分からない
結果は解釈にしか過ぎないを前提とすると、現時点で「良かったと思う過去の意思決定」の話になる
そもそも良い・悪いを判断するためには、何かしらの標準(「普通に進行していれば〇〇だったもう一つの現在」が存在するはず)
その場合、過去の解釈としての「良さ」は相対的なのかもしれない
「自分がいい選択だった」と思うことは、自分の中に何かの軸があって、それに少しでも近づいたら事後的に解釈する
例えば時間通りにアルバイトにいくのがめっちゃ嫌だったら、コンビニでバイトするよりITの仕事をすることでそれはしなくて良くなった みたいな?
コンテンツとしての選択肢(知識)の数は意思決定の質の向上に必要な要素なのだろうか
tkgshn.icon抽象的にいうと、物理的やコミュニティ的ないろんな概念としての移動・差分っぽいですね
from 選択肢の知り方#609434d309c5f20000e5e2f7
/emoji/twitter.icon なんかこの偶発性の設計みたいなのは偶発性を設計できれば偶発ではない、みたいな理論になってしまうので、デフォルトを底上げするって意味では義務教育とか強いなーと思った。ファクトフルネス的な要素ある。それをデータ元にして推薦するとエコーチャンパーのリスクはありつつも底上げできるかも https://t.co/xswHrLGDCR
@tkgshntkgshn.icon May 6, 2021
意思決定の設計はアルゴリズムやエコーチャンパー的に可能ではある
その推薦にかかるコンテンツの善悪はその地点では評価できない