2024/12/15 仕事において成長ということばをつかわない
表題のとおりで、仕事における場面で、成長ということばをつかわないようにしている、というはなしです
成長ということばをつかうのはおかしい、仕事において成長などするわけがない、といった主張ではありません
近しい人たちが成長ということばをつかっていたとしても否定しません
仕事の愚痴でも所属の悪口でも人の悪口でもなんでもありません
個人の思い悩みのはなしです
ここ何年も労働の亡霊に取り憑かれており、私=仕事の構図から脱却しようとしてもうまくいきませんでした
こうなった経緯は以下のようなことが考えられます
今の仕事の(自分の)うまくいかなさに、私と仕事のギャップを感じはじめた
思い悩みで不眠がつづいて今も時折顔をのぞかせる場面がある
20代〜30代後半までできたアドレナリンの出るような仕事のしかたができなくなっている
力まかせに不足する余剰を埋めたり情熱を生み出したりすると疲れるようになっている
空回りやギャップがあれど、仕事に対しての期待がまだあって、到達できないことで自己批判が強まる
などです
さりとて、労働は平日日中の8時間くらいはつかってるわけですし、興が乗ればもうちょっと時間をつかうこともあります
こういったメンタルで仕事に取り組むというのは本当にきついですし所属する会社にも不誠実ではあります
さらにきついことには (会社とはそういうものでしょうが) 期末評価などの面談で「成長」ということばを使われるのが苦痛になってきました
思い悩みが深かったので、所属の人事の方に1on1を申し込んではなしを聞いてもらったり、いろんな書籍を読み自分なりに考えをまとめはじめたりしました
わたしは労働を中心に生きているわけではない、といった大前提をしっかり腹に据えておくこと
労働における成長が趣味であるひともいるが、自分はそうではない、それを区別すること
SNSで安易に真に受けていちいち労働を自分に引き寄せすぎないこと
最終的にやりたいことができていることがいい状態だが、いまはドリフト状態であること
自己分析を進めて今の自分がどういった状態なのかしっかり言語化するようにしました
なので、成長ということばをつかわずに「仕事は上達するものである」と言うようにしています
仕事を自分に引き寄せすぎると、どうしても成長しなくては…といった強迫が自分には生まれるのですが、仕事の上達といった言い回しは少し距離があってわたしは好きです
言い回しだけの問題では?と思うかもしれませんが、そうかもしれませんね。でも自分にはその程度でも効くのです
仕事での成長という言葉には、人格的な成長を暗に含んでいるように感じますが、仕事の上達や仕事をすすめるテクニックの獲得は、人格的な成長といっさいほとんど関係がないものです
わたしはランニングが好きでマラソンにも出て少しずつ上達もしはじめていますが、上達によって人格的な成長をしているとはいっさい思っていません 仕事をすすめるテクニックを上達することが、人生の意味の源泉になる人ももちろんいますが、自分はそうじゃない
今日は誕生日なので少しウェットなはなしでした。以上です