暴力から離れるために自然から学ぶこと
世界を複数の社会で構成されたものにすることは本質的に、人間どうしを遠ざけることになるのか?アリの場合はまさにそうだ。アリたちはいつだって、隣にいるコロニーに先を越されないように、戦って資源を奪い合っている。そうしたようすを見れば、アリの世界では社会間での対立に代わる解決策がないとわかる。
あー。なるほど。 アリの争いの動画とか本とかみていると、なんか人間社会でいう経済回っているーっていう気分になるのだけど、生物の循環みたいなものを見ている気分になるのかもしれない。
たくさんの動物の例が出ていて面白い。チンパンジー要素が多めに注入されている人はやはり多そう笑
戦争は人々を団結させることができる
考えたことがない視点だったが、たしかにそうなのかもしれない。人間で行われていると考えるとぞっとして、生理的に受け入れたくなくない意見だが、動物の例で考えると比較的意見を受け入れられた
動物の社会が仲良くやっているところや、少なくとも互いに危害を加えていない場面はいくらでも見つかる。しかし、そうした傾向が見られるのは、そのような行動に適した条件がそろっているときだけだ。たとえば、資源やつがいの相手をめぐる争いがあまりないときや、それらをめぐる戦いが割に合わないときなど。
対立するチームや人間関係があった時、争いを回避する行動に適した条件が揃っているかは確認したい。そう考えると、給料も争いや対立を起こす一種のファクターになっているのかなあ。
共有した資源の取り合いになると争いが発生する。となると、予算の取り合いみたいなものもあるんだろうな。
給料も相対評価だったり、昇格できる枠が限られているとそのゲームのルールに気づいたら争いになりそう…
そこでは四〇年前に、オオカミの複数の群れが、他の場所では見られることのない習慣を始めた。
すごい!文化だ。。。オオカミにも社会固有の文化が生まれるんだ。。。
地味に、オオカミも群れが合流することもあるというのを初めて知りました…
サバンナゾウとバンドウイルカは友好的なの、なんかわかる。おっとりしているかんじ?
社交的な者がいなそうなら訪問者は引き返す。
めっちゃ人間っぽい。空気読める人みたいな感じ。
暴力がまれにしかないことは、生息地に豊富な食料源がたくさんあるおかげだとされている。
結局のところ、争いはリソースの奪い合いということなのかなぁ…
全生物においてそんな気配を感じる。。。
世界荒廃系の映画とか、百年前の人類生活とか、よくよく考えるとそうなんだよなっていうのを常々思う。私たちがおもう日本の平和で理性的な生活ってここ20年くらいな気がする。50年前だとまだ壮絶ないじめとか虐待の数がすごかった記憶があるし、100年前とかになると戦争や人種差別や侵略がすごいあった印象。
最近またエネルギーが足りなくなってきましたからね…
私たちが基本的によそ者を信用せず、危害を加えたいという欲求をもっていることは、チンパンジーと同様に祖先から受け継 いだ性質の一部と考えるのが妥当だろう。それなら、疑念を脇へやり親密な絆を結ぶという選択肢は、私たちがボノボたちと共有する資質にちがいない。人間の親戚である二つの種は、私たちの左右の肩にそれぞれ乗って、正反対の良い助言と悪い助言をささやく天使となった
あなたはボノボよりなのか、チンパンジーよりなのか。。。
このセクションを読むと、いきなり掴みかかられたりはまずしないという点から、人間は互いの存在に寛容だなあと感じる。(ロシアのようなこともあるが。。)
いきなり掴みかかってくる方も、何かが足りていないということなのかもしれない…
追い込まれた結果、掴みかかるというのも考えられるのでどちらが悪いというのも難しい…
このセクションはたくさんの動物がでてきてたのしい
昨日やってたゲームで散々オオカミにやられた記憶が呼び起こされました
次は、そのような温かい関係が栄える条件と、それが人間性について教えてくれることを見ていこう
18章は明るいらしいぞ!!
期待!ここまで辛い話が多かった。面白いんだけど。
はやく読みたい!