第26章 社会は必要か?
このような狭い領土で、さらにはこれほど長い期間のあいだなら、一方の首長制社会がもう一方を征服するものだと思われるかもしれない。実際には一度もそうはならなかったという事実は、人間が完全な敵でなくとも外集団を必要としていることと関係しているのかもしれない。
面白い。仮想敵の存在にも生物学的には意味があるのかー
面白いですよね〜。片方が統一することがなかったのは意図的なんですかね。休戦期間に酒を飲む儀式というのをやったということは儀礼的な戦争だったのかな。
プログラミング言語を複数学び比較し合うことでその言語の良さや欠点が分かる、みたいな話と似ているのかな
と思ってたら、そんなようなことが後半に書いてあった(↓)
それは、ある集団を社会とよぶこと──そしてその社会のメンバーを識別するためのしるしを認識すること──は、二つ以上の社会が存在する場合にのみ意味をなすということだ。
「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」と、自然の熱心な観察者であるソロモン王は助言した
久しぶりにアリの話きたー!まさかソロモン王もアリに注目していたとは。。。
人々が互いを必要とするとき、自分たちをよそ者と対比させなくても共同のアイデンティティを構築することができるということを発見した
アイデンティティを構築するのによそ者と対比させる必要がないというのは良い話かも。チームとしてまとまりつつ、チーム外とも調和する可能性を感じられる。
たしかに!そんなチームと環境を作り上げていきたいですねー
疎外されることは、宗教における狂信や原理主義よりも強い動機となる。
本にあるカルト宗教に傾倒する話然り、チームを重要視する話然り、人が協働する理由を根源的なところから説明している感じがあって面白かった
全体を通して、色々な条件で人が集まった際に、そのグループ(社会)がどうなるのかの事例が多数あって興味深い章だった。