人が発したものに素直に反応してみる
最近、共有Scrapboxに参加したり、Twitterで対話する機会が少し増えたことで、自分が発したものに人から反応を得られることの楽しさを思い出した。
この反応というのが、いつの間にか数字に置き換わってしまっていたが、Koh_Sayato.iconが望んでいたのは、数字ではなかったのだということを改めて実感している。1人2人でも、たまに対話が発生すれば、それで十分満たされるらしい。 ただ、透明人間が必死にパントマイムを披露するような状態を続けていると、どうしてもまずは見つけてもらうためにGoogleを意識せざるを得なくなるのだ。それはそうせざるを得ないとはいえ、自分の望みとはズレた虚しい努力である。
そんな誰かの虚しい努力が減ることにつながればいいし、そうでなくても、ただ単純に発したものに言葉で反応が得られるのは嬉しいはずだから、素直に反応することを心がけてみよう。
ぼんやりと頭の中で感想を言いながらいいねを押すよりも、ちゃんと言葉にしたほうが、とにかく思考を深めたいブーム真っ只中のKoh_Sayato.iconにとっても良い影響があるはずだ。
ただし、無理はしない。