やはり何かをするには「楽しさ」が欠かせない
何回か聞いているBeck's Hacks Radioのお気に入りの回をまた聞き返して、そこにとてもエモい(と一言で片付けたくはない)やりとりを見つけた。
見つけたというか、何かがあったはずだとねらって聞き返した。
ここで主題として語られてるライフハックは、知的生産と同一ではないけど「エモさは不要」と断じるのは違うな、と感じさせるものがある。
Beckさんの許可が得られたので、心おきなく引用させてもらって、何か書けることになった。よっしゃ!
以下、失礼ながら敬称略で。
倉下:だからけっきょく背中を見せるしかないんですよ。で、そう考えたときに、ボクらのブログは楽しさを見せなさすぎたんかな。
Beck:あぁ偏愛が足らなかったんじゃないですかね。
倉下:ちょっと中立的にいこうとしすぎてたというか。でも、そうじゃないんじゃないかなって。もっと俺はこうだぜって出していいんじゃない、出すほうがいいんじゃないかと。
Beck:愛を語れってことですよね。
倉下:そうそうそうそう。愛を惜しげもなく語れってことですね。要するに。
Beck:そういうこと言うと、いやオマエの意見や心情はどうでもいいから情報だけよこせって言われるんではなかろうかみたいなのはやっぱりあって、特にライフハックブログってのはそういうところなので、そういう中立的且つ情報の提供というのに徹しすぎていたところを、個人メディアなんだからどこぞのニュースサイトみたいな書き方じゃなくて「このペンすごいんですよ、ほら見てくださいよ、こんなに細いのに書き味がいいんです」みたいな話を変態的にするってことですよね、きっと。
倉下:それはだから個人的にする、個性的にするっていうことの裏返しやと思うねん、けっきょくは。中立的にあろうとするってことは非属人的、非個性的にあろうとすることで、それは楽しくはないし、楽しく見えないだろうなと思う。やっぱりユーチューバーが人気なのって全員楽しそうじゃないですか。あれ、ものすごい暗い顔で動画はじめたりしないじゃないですか。この人が語ってるってことの意義っていうのが楽しく語ることの中にあって、個性の逆の出し方は怒りにあるんですけど、それは面白くないし、だからやっぱり楽しいことを、或いは楽しく書く、何かのことを楽しく書く、どっちかかな。それが一番続けやすいし、やってていいし、人に与える影響も強いんではないかなと最近思いますね。
(Beck's Hacks Radio 第93回 「倉下さんとブログやSNSをもっと楽しむためにどうすればいいか語らふ会」より)