標準化と多様性から考える2つの構造の違い
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標準化することは多様性を最小化する方向に向かう。
一方で多様性をそのままに取り込むと混沌とした状態(カオス)になってしまう。
標準化を単に多様性の最小化として捉えると、標準化と多様性はどの程度でバランスするかという話になってしまう。
標準化を一種の抽象化として捉え、個別具体の広がりを多様性と捉えると両者はバランスするようにも思える。
抽象と具体を表現する仕組みとなると階層構造(アウトライナー)になり、
混沌とした状態をそのままに受け入れられる仕組みはネットワーク構造(Scrapboxのようなもの)かもしれない。
どちらも個別の要素と要素をつなぐ関係性を保管する仕組み。
階層関係と1:Nで表される仕組み。
要素にフォーカスした時に関係が近いものを示す仕組み。
ここからはかなり感覚的だが
ネットワーク構造は客観的視点であり目的意識と切り離して作る構造
階層構造は、ある種の整理する方向付けを持った構造であり、一時的な構造であり最終的に固定化される構造
というイメージがある。
ネットワーク構造から要素を取り出し階層構造に目的を持って並べる。取り出してまとめて最終的に固定化する。
同じ要素を取り出してまた違う視点で整理してまとめて固定化する。
同じ要素で作られるそれぞれの可能性の形。
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ネットワーク構造が、非目的的であるというのは同意。
客観的視点であるかはなんとも言えない。
私のScrapboxは客観的なネットワーク構造とは言えないように思えます。
逆に、図書館分類法などは客観的な(つまり単一の利用者に最適化されたわけではない)ツリー構造だと言える。
maro_draft.icon確かに客観的視点であるかどうかは必ずしも言えないですね。
非目的的であることで目的を持った視点では割愛されるような関係性も現れるということが最も大きな特徴になる
階層構造とツリー構造を区別して考えるべきか。
ネットワーク構造が情報のつながりの「すべて」を明示するものであり、ツリー(ないし階層)構造はそれを切断し、スナップショットにしたもの、という感じはしている。
だから後者は、目的的になる(切断のための視点の設定が必要だから)。
そうした視点の設定の必要がないという意味で、非-目的的→非-主体的にネットワーク構造は作れる、とは言えそう。
非主体的というか非恣意的というか。
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一応、中間段階的な考えで、マインドマップ的な、中心概念から順番に段階的に、分岐して広がっていくネットワーク平面、というものは想定できますね。
中心はあるけど上位というわけではないし、一つの中心から分岐する各ノード間に先頭があるわけではない、みたいな。
友人関係図ほどには複雑化されていないネットワーク
maro_draft.icon階層構造では上下関係がある(同一階層は同類の要素で構成される)けれど、マインドマップでは階層構造とは違って上下関係がなく(同一階層要素に違いをつけない)、目的と方向性を持った関係性を表しているのが特徴
目的と方向性がなければ、循環するような関係性が現れることになる
そういう意味で、アウトライナーというのは、デジタル……、というか、シリコン+ノイマン コンピュータのくびきから生まれたテキストエディタを継承しているからああなっている、ということは言える。
一つずつ+順番に 処理することを宿命付けられている。
マルチタスクがタイムスライスでしかない世界線
3個ずつ順番に、でもないし、
3カラムをそれぞれ順番に、でもない。