「行動に駆り立てる言葉や方針はなんであれ正しい」
彼らの思想は、「そもそも人間は何も言われなくたってまず行動しますよね」というのを暗黙の前提にしているのだと捉えた方がよいと思います。
と書いてある場所がある。位置:41/203
ikkiTime.iconしかし、私の身体感覚というか、デフォルトな本能は、「何も言われなくたって両面考えるよね」だし、「何も言われなければ、何もしたくない」という気持ちすら結構ある。頭の中でぼんやりと妄想や空想をして、それで日がなすごしたり、思いついたアイデアをそのまま脳からネットにアップして、しかも私の信者が世界にいて、勝手にその思い付きを社会的に実現してくれたらいいのになー、と思っていたりするくらいには、身体活性が低い。 生存や社会適応を迫られなければ、私は何も行動したがらないかもしれない、というくらい、行動や決断に向けた意欲が少ない。
もちろん、もう読書少年ではなく、孤独なオタクでもなく、仕事をしなければ生きていけないし、多少は社会的な体面を取り繕う必要はある。そういう圧力は受けている。それらの圧力を含めて《「そもそも人間は》と言われれば、確かに行動はする。
でも、それは主観的には、「無理してやっている」ことであって、人間の本質、って感じはしていない。
だから、無限にぐるぐる考えている楽しさや安らぎにに浸っていたいという、脳の閉じた本質を、尻を叩いて、あるいはしがらみを断ち切って、行動にと追い立てないと体が飢え死にしてしまう。
それが生きている実感で、理性の第一の仕事だ、という実感の中で生きている。
rashita.icon「部屋にじっとしていられないから、人間は不幸を招く」というパスカルの言葉がありますね。
ikkiTime.iconすごい皮肉っぽいフレーズですねw とはいえ、共感はすごくあります。
そういう哲学者ってのが、いないよなー、とくに近現代にいないよなー。
まあ、どこかで「切断」しなければならない、という哲学的な発想はそれに近く、つまりそれを含んで思想体系を作っていた人はいなくもないのだろうけど、重心や切迫感はかなり違う気がする。
心配していることの9割は起こらない
行動しないことが最大のリスク
社内評論家はいらない
そういうことを、一生懸命自分に言い聞かせて、日々行動し、口に糊する。
おまゆう
「やらなきゃよかったという後悔はしても、やればよかったという後悔はしたくない」
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ
そんなことすらで、自分の弱気やのんびり具合を押し戻す。
そういう方向に考えるぐるぐるが、「哲学」「思想」と同じくらいの高尚さと汎用性を認められて、人口に流布していてほしい。
そこから、たとえば「おんせん法」みたいなものにつなかっていく体系があってくれたら。