「贈与」に関して
「贈与」の記事読ませて頂きました。下の記事です。magnumize.icon
贈与といえば前澤さんのイメージです。日本は寄付文化が海外に比べて根付いていないそうです↓magnumize.icon
彼のお金贈り応募してるけど一向に当たりません...magnumize.icon
笑 4bata.icon
大学のサークルでは、先輩が毎回奢ってくれました。「自分たちも先輩にそうしてもらったから」と言っていました。めっちゃ贈与ですねmagnumize.icon
ただ、「『いいよ!奢るから〜』と言いつつも引き攣った笑顔で財布から金出すくらいならこんな悪習やめた方がいい」と言っていた人もいました。「贈与」は強要されたり制度化されるのではなく、自分で気づくことで初めて成り立つものですね笑magnumize.icon
あーだから強制になってるってことか、そういうのもありそう、これ難しいな、かつ、面白い気づきだ 4bata.icon
「既に受け取ったものの大きさに気付く」ことに関して、2つ思い当たることがあります。magnumize.icon
1つ目は、「感謝」です。最近、朝起きて一番最初に「感謝」するようにしています。1日の始まりに家族やペット、今までご縁があった方々(柴田さんも!)への感謝の時間を設けることで、一日をHAPPYに生きられるという寸法です。個人的に、瞑想よりも精神安定効果は高い気がします。
PRESUASIONという本に書いてありました。幸せに生きるのは技術の問題、というトピックでした。
2つ目は、「贈与」は、「これから失うものの大きさを気づかせる」行為の反対だな、ということです。magnumize.icon
「失うものの大きさを気づかせる」はよく目にする手法です。「ケアしないとお肌がシミだらけに!」とか「あなたの株売らないと損しますよ!」とか。何かを得る喜びよりも失うダメージを重く見る人間の習性を利用していますね。
でも、贈与は「既に受け取ったもの」に「自分で気付く」ものです。やっぱり人から言われるのと自分で気付くのでは天と地ほどの差がありますね。「贈与」型の何かをしたいなら「いかに自分で気付けるような環境を整えるか」が大事だと思います。
自分も家庭教師時代は「いかに生徒が自分で気付くようにするか」を念頭に置いていました。
というわけで、すごく抽象的な方向性ですが、贈与で得たお金は、「人々が今まで自分が受け取ってきたものの大きさに気付けるような環境をつくる」ために使えればいいなと思います。そうすれば、基本的には個別のコミュニティ間で行われる(先輩に奢ってもらったから後輩に奢る、親が自分を育ててくれたように子を育てる等)贈与が、より一層不特定多数の人々の間で行われやすくなるのではないかなぁと思いました。
そう!これだとおもう!というか個人の目標というか行動指針の見直しをしてて、自分が受け取ったものに気づき続けるアクションをどう設定したら良いかを私も考えてました 4bata.icon
でまあ、なんかお金を使おうと思ってたけど、1周回って普通に無料でやるのでいいかなとか思いました。有料にするなら先にそのお金の使い道(=贈与)を思いついてからじゃないと微妙だからやめます。これだけで相談してよかったです。ありがとうございます4bata.icon
この「自己拡散型贈与(仮名)」を実現するためにお金を使えれば!と思いましたが、なんだか壮大になりそう...
手頃かつ具体的な落とし所を模索中ですmagnumize.icon
例えば、「自分、いろんなことをしてもらってきたな〜」と実感する瞬間として、「家族愛」などがテーマのアニメや映画を観たときが思い当たります。
最近公開されたクレヨンしんちゃんの映画観たんですけどめっちゃ笑ってめっちゃ泣きました。去年のも最高でした。しんちゃんの映画非常におすすめです。magnumize.icon
これみてみます 去年と今年のやつか 4bata.icon
ただ、「狙ってる感」があると冷めちゃうので、そこは問題だなと思います。映画を作らなくても、「こういうことをしてもらったから今の自分がある」みたいなエピソードを発信すること自体が「贈与」に目覚める人を増やすことに寄与しそうですが、文字だけで体験談を書いても、まだ目覚めていない人を「贈与に目覚める」レベルに感化することは難しい気がします。その点、漫画はすごいと思います。クレヨンしんちゃん見ると(省略magnumize.icon
それなら、「自分が贈与に目覚めるきっかけになった」ような作品をシェアするのもいいかもしれないなと思いました。「良い映画を観させてもらった!色んな人に広めたい!」。これも贈与かも。magnumize.icon
柴田さんが有料記事で得たお金を、「その作品を通して贈与の輪が広がるような映画を観るためのチケット代(レンタル代)」にして、観た作品のなかからおすすめを選んで記事にしてシェアすることで、間接的に「贈与」に貢献することになるのでは?と思いました。magnumize.icon
なるほど!ただ別にそこ有料でもらったお金使わなくてもいいですね笑。4bata.icon
「贈与に目覚める/目覚めていない」と書きましたが、誰だって親とか周囲の人に感謝したことはあるだろうし、「してもらったから自分もする」みたいな行為もしたことはあると思います。magnumize.icon
ただ、「継続的な贈与」であったり、「意識的な贈与」を実現するには、そもそも「贈与」という考えがあることを知ることが大切なんじゃないかと思いました。
佐賀に住んでいる知り合いの方は、近所の農家さんがたくさん野菜をくれて、自分はそれを調理してご近所さんに配っていると言っていました。「そうやって回ってるんだよ」という彼女の言葉は、昔ながらの共同体に「贈与」が根付いていることを教えてくれます。
柴田さんのnoteで「贈与」について読んだだけで、大袈裟ですがなんだかあたたかい気持ちになりました。人間には、まさしく「贈与」のような、支え合ったり人に優しくしたりする話に対して、ほっこりする本能が備わっているんじゃないかと思います。
テレビ番組で、「◯◯さんはほんとに良い人なんですよ」みたいなのを観るとなぜかニヤけてしまいます。それが印象操作だとしても。。。
柴田さんが「贈与」に関する企画を行うことで、1人でも多くの人が「贈与」について知るきっかけになれば、それは「更なる贈与」に貢献したことになると思います。有料記事で得たお金は、そんな企画をするための予算にしてもいいかもしれません(といっても何をするか/いくらかかるか等は未定ですが)。magnumize.icon
贈与に関する企画考えてみます。magnumize.icon
そういえば父の職場に、北海道から上京して来たばかりの若い人がいたらしいのですが、家が決まるまでオンラインゲームの友達の家に泊めてもらってたそうです。何かしらの「贈与」があったのかな、と思います。magnumize.icon
先ほど触れたPRESUASIONにも、「郵便局の手違いで知らない人からクリスマスカードが届いた。返事を書いたことがきっかけで、10年以上もカードのやり取りが続いた。片方の家族の息子が大学生になると、大学近くでアパート探しを始めた。一向に良い物件が見つからなかったが、クリスマスカードのやりとりをしている人が住んでいる地域であることに気付いた。『息子を住まわせてくれないか?』と相談すると、向こうの家族は快諾した。一度も会ったことはないのに!」という話が載っていました。これも「贈与」の一つなのか? 本では、「継続的なやりとりが親密度を非常に高くする」ことの事例として記されていました。magnumize.icon
「田舎に泊まろう!」みたいなことめっちゃやってみたい。関係ないですけど笑magnumize.icon
たぶんだから、「お金以外のクラウドファンディング」なのかもしれない。そっちかなー それな気がする。4bata.icon
逆に、「贈与」に結びつかないのって、「自分は全然良いことされてない」「ついてないな」「不公平だわ」みたいに思っていることが原因なのでしょうか?magnumize.icon
だとしたら、「贈与」を増やすには、人々に自己肯定的になってもらう必要があります。持っていないものについてあれこれ考えるのではなく、今あるものの大切さに気づく。そのためには、自分の境遇や自分自身に対して肯定的になる必要があると思います。
人々の「贈与」を増やしたくて、そのためにみんなにもっと「自己肯定的」になってもらう。これは、人々の「幸福度」を上げるという壮大なプロジェクトかもしれません。
ただ、幸せに生きるのは技術の問題らしいです。であれば、そのスキルがシェアされて実践されれば人々は幸福になります。また、人々がその手法を知らなくとも、「感謝」は人々を幸福にします。なので、「感謝」を想起させることが、人々の幸福、自己肯定、贈与へと繋がる本質的な施策なのかもしれません。
読んだ人がつい「感謝」したくなってしまうような記事を描く...? 「感謝」に関する企画を行う...? みんなが「感謝」しちゃうようなことをする...?「贈与」に関するアイデア(得たお金でチケットを買って映画を見てシェアする等)とあまり変わらなそうです。
いくつかパターンありそう。「既に受け取ったものの大きさに気づく」パターンと、あとは「なんでこんなにしてもらえるんだろう」っていう疑問に思うパターンとか。