考えることにおいて言語は便利なツールだけど、縛られると不幸?
僕の場合、声にしろタイピングにしろ手書きにしろ、常に思考のほうが速い/早いのでボトルネックは出力にあった
実はこの思考(考えること)は非言語的なんじゃない?という指摘をもらって、気づきがあったのでメモ ショートカットの最速例として言語を使わない、があると思う
改めて外に出すために言語化しようとするとできないな マジでピュアに「考える」ことで言語を介さずに思考できる感じだった あんまりこれについて考えると俺の思考力のボトルネックが言語化力になりそうなので考えるのやめよ
↑ここまでに書かれた文章は書き始める前には考え終わっていてそれを日本語にするためのコンバート業が別途発生している
日本語というか、他社が理解可能な言語に変換する作業というか
実践には、言語を超えた速度が必要だからだ。
めっちゃこれかも。
言語化すると遅いんだよな。