「ジャポニスムを考える」
「ジャポニスム」というのは19c半ばから20c初頭まで、欧米で発生した日本ブームとその受容(印象派とかアールヌーボーとか)という歴史的に画定できる現象のことを指す、つまり主体は欧米人なんだけど、日本ではクールジャパンみたいなのとつながって「日本が主体的に発信した」みたいな形で表明しがちになってしまっている、という指摘が繰り返しなされている。
典型は、2018年に日仏合同で開催した展覧会が、日本では「ジャポニスムの150年」だったのに対して、フランス側では「Japan - Japonismes. Objets inspirés, 1867 - 2018」となっている。決定的な違いは、フランス側のタイトルはJaponismesと複数形になっていることで、浮世絵からマンガまで連続性があるわけではなく複数のジャポニスムの存在を置いている点。これが日本側のタイトルは単一のジャポニスムが150年続いているという理解で、浮世絵からマンガまで繋がってしまう。
日本では、浮世絵からマンガまで直線的につなげようとする思考/志向が働きがちだなとおもう(自分も含めて)けど、フランスではどういう意味でも印象派とバンドデシネを繋ぐような歴史的理解はないんだろうな。
というか欧米にとって「ジャポニスム」というのは端的に歴史的な現象であって、現代の日本のカルチャーの影響力を「ジャポニスム」だと考えているわけではない。1860年代から20世紀初頭までのジャポニスムの流行は、日本での開国から日露戦争までみたいな感じで、帝国主義国家として台頭してみたら神秘の国ニッポンとかおもってたのがこいつらずいぶん暴力国家じゃねーかみたいな感じで醒めてしまったのが原因らしいが、
日本はその後逆に「ジャポニスム」として受容されたイメージを広告戦略に組み込んでいくことになる。全盛期ほどの流行はなかったけど、それでもけっこう文化輸出としては効果はあったようだし、じっさいブルーノ・タウトが日本に滞在したのも1930年代くらいだけど日本カルチャーを絶賛している。
日本のなかではそういう意味で「ジャポニスム」が継続的な現象なんだけど(このときの文化輸出戦略とクールジャパンとあんまり違いがない気がする)、欧米では確実に一旦途切れている。それがたぶん日仏でイメージが噛み合わないんだろう。
浮世絵と漫画の歴史的関係ってけっこうめんどくさい問題で、一度大正期に岡本一平が社会主義的観念を通じて浮世絵と漫画を接続しようとしている。ここって戦後のストーリーまんがと歴史的連続性があるんだろうか。こういう言説史研究は誰かやっているはずに違いない。
いやージャポニスム研究はめちゃくちゃ厄介な領域だな。批判的視点を欠くとすぐナショナリズムに転んじゃうので枠組みを丁寧に(批判的に)考える必要があるけど、オリエンタリズムの枠組みではぜんぜん足りないんだよな。単純なポストコロニアル現象とは把握できないのだけど、そういうこと言ってしまうとまた「植民地化されずに近代化を達成した唯一の非西洋国」とかいう神話が忍びよってきてしまってめんどくさい。とはいえ日本美術史という枠組みを相対化する手段としてはこのジャポニスムという外からの視点は欠くべからざるものでもあるんだけど、ジャポニスムでは西洋と日本が特権化されてしまって、たとえば「アジア圏での美術史」みたいな枠組みは組みづらくなる。
それって拡張された西洋中心主義じゃんみたいな。実際に「西洋にも認められた日本文化」みたいな文脈でのジャパンに自己同一化してしまうのは現在でもかなりあるとおもわれ(というかそれが「ジャポニスムの150年」なんだろうけど)、浮世絵が印象派とかアールヌーボーとかに与えた影響とかそれがまた日本で影響を与えるという再帰的な文化反響現象とか、それ自体重要なトピックなのに、ここを切りだしてしまうという操作がけっきょく帝国主義的背景を隠蔽するものでもあり(実際に大正期から昭和にかけての日本はみずからの軍事国家という性格を隠すために文化国家宣伝したのだ)。
いわゆる「文化盗用」みたいな議論で日本が例外に見えてしまうのも、このへんが関わっている。
てかジャポニスムのあとってピカソやマティス、シュルレアリストらのニグロ彫刻・オセアニア彫刻ブームがあり、これらについてはMOMAの「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(1984)の際にポストコロニアルな文脈で批判されている。ジャポニスムにはこの批判がないのはなぜなのかはけっこう重要な問いなはずで、日本はジャポニスムという現象を利用してセルフイメージとしてきたが、ニグロ彫刻やオセアニア彫刻にはそういうのがなく一方的な流用だった、という差がおおきいとおもう。