仮想人格:アルバート公
#設定メモ #仮想人格
概要
仮想人格プログラムがプログラムカルテ化されることにより、商業化に目処が立った1870年代。密かに記録、保持されていた人格があった。1861年、腸チフスにより亡くなったアルバート公の人格である。
アルバート公の人格は、仮想人格研究を支援していたホールワース財団により記録されていた。
当時の仮想人格は、プログラムカルテによる記述の開発中であり、試験的なものであったが、アルバート公自身の仮想人格の発展に対する期待は大きかった。研究にも深い関心を示し、自らの人格を記録したものである。
アルバート公の支持もあり、ヴィクトリア女王も、ロンドン万博などの一部の記憶が記録された。このことは、財団の中でもごく僅かの人間しか知らないことであった。
アルバート公が亡くなった後、仮想人格は封印された。死者の人格の保存に関する議論は、多くの問題をはらんでいた。それが王族ともなると、なおさら慎重にならざるを得ない。ホールワース財団は、ロスチャイルド家をふくむ多くの出資者のために、仮想人格を記録していた。仮想人格による不老不死、自己の永続性が密かに期待されていた。
仮想人格がプログラムカルテとして、商業化の目処がついた1870年代。財団を通してヴィクトリア女王に仮想人格の体験を促すことがあった。かつて記録されたロンドン万博の記憶。大英帝国の威容を世界に誇った一大事業。アルバート公亡き後、ひきこもりがちだった女王を再び引き出す意図もあった。
しかし、結果は全く逆の効果でしかなかった。ヴィクトリア女王にとって、1851年のロンドン万博は、アルバート公の手腕による成功の記憶であり、アルバート公への追憶が増すばかりであった。
その真の目的は、ヴィクトリア女王へアルバート公の仮想人格を導入し、政治的にも帝国の女王としての威信を取り戻すという計画であった。しかし、女王の反応から、アルバート公の仮想人格の存在そのものが女王には、秘匿されるものと判断された。
その頃、アルバート公を記念する事業が、ディズレーリを中心に発案されていた。アルバート記念碑に密かにアルバート公の仮想人格は秘匿された。アルバート記念碑の大英帝国を象徴する意匠の土台には、アルバート公の人格が文字通り埋め込まれている。これは、ディズレーリや、ホールワース財団の数人しか知らない事であった。