エドモントン・スミス
芸術作品を模写することは、芸術家を目指す者が行う修練としては普通のことである。その結果、多くの作品が模写され、似ても似つかない模倣が大量生産された。
しかし、これらの技術の発展でも芸術作品の完全な大量複製を行うことは難しかった。まだまだ再現性に問題があり、同一とみなすことはできなった。
また、グーテンベルク革命以降の印刷技術の発展も、作品を大量に複製することを可能とした。
かつて美術の学生をしていたエドモントン・スミスは、芸術作品の大量複製についてあるアイデアを持っていた。それは、芸術家、あるいは模写・複製の技術を持った複製家の仮想人格を用いて、芸術作品を大量に複製するという考えである。 スミスは、芸術家の人格を集めようとしたが、誰からも相手にされなかった。どんなに貧しい芸術家も自分の人格だけは売らなかった。
スミスはかつて覚えた模写の技術を使う事にした。過去の芸術作品をひたすら模写し、その芸術模写技術を完璧にした。
ある朝、タワー・ブリッジに巨大な絵画が吊るされているのを見た人々は驚きの声をあげた。それは、ダヴィンチの『最後の晩餐』の精緻に拡大された模写であった。 その後、倫敦市内には芸術作品が大量にあふれることになった。美術館にあるような作品が街のあちこちに飾られた。ロイヤルアカデミーは芸術への挑戦であるとして、これらの模倣はすぐに燃やしてしまえと息巻いた。普段芸術に触れる機会のない下層階級は初めて芸術作品に触れることができて喜んだ。ブルームズベリーの街路にまで模倣作品が溢れるに至っては、付近の画廊は共同で声明を出した。
芸術はだれのものなのか。単なる模写ではなく社会問題となっていた。芸術作品の大量複製、それも再現性の劣る印刷などではなく、油彩・水彩それぞれの技法で完全に複製された作品。大昔に失われた技術で再現された製法不明の工芸品。まさに、芸術復興とはこのことだとは、ある評論家の話である。
トラファルガー・スクエアを埋め尽くす大量の『ダヴィデ像』は交通渋滞を引き起こした。
これだけの作品を大量につくる者は誰なのか、模倣品を撤去しても、翌日には倍の作品が置かれていた。
美術館も画廊も、訪れるものはいなくなった。街に溢れる模倣品に辟易させられているのに、誰が芸術を見に行くだろうか。まさに、芸術の死であった。模倣されるものは過去の作品ばかり、新作を求める者はいなくなった。
ロイヤルアカデミーの会員のある芸術家が、スミスのことを覚えていたのは偶然に過ぎない。
愚か者の愚にもつかないアイデアなど、吐いて捨てるほどあるからだ。たまたま訪れた美術学校で、模写をしている若者たちの拙い筆致を見て、馬鹿な事を言い出した若者の言葉を思い出した。芸術家の仮想人格があれば、模写の練習も必要がなくなる。
確かに、模写の練習は必要ないだろう。しかし、模写とは、自らの技術を高めるための訓練である。それなしで、自分の作品が作れるだろうか。
もはや、スミスの活動ということに疑いの余地はなかった。模写の技術を持つ仮想人格による大量複製。複製された芸術家の複製技術による複製。もはや、芸術とはいえないものであった。
倫敦警視庁は、市内の画材店を調べた。これだけの絵画を製作するには、相当の画材が必要となる。しかし、どの画材店も心あたりはなかった。美術学校も芸術家の工房も、画材の流通量に変化はなかった。むしろ、アマチュアの画家が活動を控えたせいで売れなくなった画材店も多い。こんなときに名画の模写をするのは、スミスの仲間と思われても仕方がなかった。 その工房は、倫敦の地下にあった。
イーストエンドの路地裏から深く伸びた縦穴に存在する無数の空間。スミスは、イーストエンドの貧民たちを集めて、大量の仮想人格により複製の製作を行っていた。
貧民たちは、食事を与えられ夜露をしのげる空間を確保する、それだけの理由で芸術を模倣した。それがどれだけの価値を持つのかさえ知らなかった。彼らにとっては見たことも聞いたこともない芸術作品。価値などわかろうはずはなかった。そして、大量の複製物があふれた結果、芸術の価値そのものがどうなったかは、地上の芸術家たち自身にもわからなかった。
画材は腐るほどあった。スミスは、以前から画材を集めていた。国内外から怪しまれない程度に購入していた。スミス自身もいつまで続けるのかは、わからなかった。
自分が何のために芸術の大量複製を行っているのかさえわからなくなっていたのだ。
狂気とでも呼ぶべきか。かつて芸術家を目指した若者が夢やぶれ、絶望の果てに見たものは芸術とともに死ぬことであった。
タワーブリッジに『最後の晩餐』が掲げられてから3か月後、倫敦の街にはもう芸術作品の模倣は見られなかった。かつての狂騒も落ち着きを取り戻し、美術館も画廊も何事もなかったかのように芸術作品の展示を行っていた。芸術家たちは、己の魂を燃やして唯一無二の芸術の製作に打ち込んでいた。
イーストエンドの地下深く、誰も訪れることのない空間の一つで、真っ白なキャンバスに向かっている男がいた。
仮想人格を用いて芸術作品の複製を行っていた貧民たちはもういなかった。彼らを養う資金が尽きたのか。仮想人格の効果が切れたのかはさだかではない。イーストエンドの路地でも、芸術作品を作っていたという貧民を誰も知らなかった。
キャンバスを前に一人の男が、筆を振るう。そこに描かれるのは、ダヴィンチであろうか。はたまたウォーターハウスか。もしかしたら、誰にも知られることのない彼自身のオリジナル作品なのかもしれない。
芸術への狂気がキャンバスに描いたものを知る者は、誰もいない。