グルントヴィの啓蒙思想
デンマークとグルントヴィ
デンマークにおけるフリースクールの考えは、聖職者、詩人、政治家であるグルントヴィ、教師であったクリスティアン・コルの功績に由来している。
彼らの考えに基づき、「生きた言葉に基づいた生のための学校」として1844年にフォルケホイスコーレが設立され、1852年に子供たちのための学校が設立された。
「生きた言葉に基づいた生の学校」で最も重視されたのが「対話」であったとされている。
グルントヴィの国民啓蒙の視点
一般的な啓蒙とグルントヴィの啓蒙は違う。
グルントヴィは啓蒙とは学問的に優れた者達が一般庶民に学ばせることではなく、デンマークに住む人々が母語である。デンマーク語によって自ら国民として覚醒することだと述べている。
そしてそれは、書かれた言葉ではなく、生活の中で語られる言葉によってのみ可能であるとグルントヴィは考えた。
『世界における人間』
各個人に感覚的に生じる発達が一連の世代において精神的に自覚されるように歩むとき、それらの世代が相互に内的に連関し合い、ひとりの人間を精神的に作り上げるということ、したがって、その端緒において人間の父がおり、その父から全ての世代が生み出され、最後に、全ての世代には父とともに解明される人間の子孫がいるという事。
したがって、後続する世代が先行する世代自体を精神的に取り上げることができ、新しい世代を発達させる事ができるというのは可能でなければならない。
つまり、人間が共通する生の経験に自覚的に生きていくことができれば、次世代との内的な関りの中で次世代を精神的に発達させる事が可能であると述べている。
そして次世代に継続されるべきは、人間自らの「長所全体」としている。
「長所全体を自らの子孫に再生させる」ことが人類に課せられたものであり、人間は自覚的に自らの自己意識を伝達するために、自己意識を十分に理解しなければならないとする。
自己意識の十分な理解こそが「人生の啓蒙」であるとする。
人生の啓蒙を伝え、継承するためには、教科書を暗記するような授業では不可能である。
光と闇・真実と虚言・死と生については、人生そのものによってしか教えることはできない。教養あるエリートよりも、一般の人々の生活や知恵の中にこそ、人生の啓蒙の教えがあるとした。
人生そのものによってのみ、個人の啓蒙を教えることが可能になるとしたグルントヴィは、既成の学校制度を批判した。
当時のラテン語によるテキスト中心の学校教育を「死んだ学校」とし、デンマーク語による対話によって「生きた学校」にならなければならないとした。