谷崎潤一郎
日本的エロスと美の探求者
生没年: 1886年(明治19年)〜1965年(昭和40年)出身は東京・日本橋(裕福な商家の生まれ)で代表作は『刺青』『痴人の愛』『卍』『細雪』『陰翳礼讃』など、谷崎は明治から昭和にかけて活躍した小説家で、日本文学の中でも「美」「欲望」「伝統と近代の葛藤」をテーマに独自の世界を築き。若い頃は耽美派(たんびは)と呼ばれ、西洋的で官能的な美を追求する作風で知られる。 若し日本人としてエキゾティックな芸術を開拓するつめりなら、支那や印度に目をつけた方がいいと思って居た。
上野の図書館で勉強しにきていた、らいにちちゅうのミスラというインド人に出会うまでのエピソードで元々妖術使いだったミスラは、母国の独立のため、西洋風の精神を身につけようとして、日本へ留学した。
関東大震災(1923)後、谷崎が東京から関西に引っ越したが、それ以降の作品に「日本の伝統文化」が大きく取り上げられる。谷崎の日本文化の捉え方は、西洋文化と対比をした。
1929
出典:Amazon「夢の浮橋」1929年版
「老人はこの人形をダークの操りに比較して、西洋のやり方は宙に吊っているのだから腰がきまらない。手足が動くことは動いても生きた人間のそれらしい弾力やねばりがなく、従って着物の下に筋肉が張り切っている感じがない。文楽の方のは、人形使いの手がそのまま人形の胸へ這い入っているので、真に人間の筋肉が衣裳の中で生きて波打っているのである。これは日本の着物の様式を巧みに利用したもので、西洋でこのやり方を真似ようにも洋服の人形では応用の道がない。」
谷崎潤一郎『夢の浮橋』(『大阪毎日新聞』夕刊1928–29年)
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「元禄の時代に生きていた小春は恐らく『人形のような女』であったろう。事実はそうでないとしても、とにかく浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢みる小春は梅幸や福助のそれではなく、この人形の姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎み深い女であったのに違いないから、この小春でよい訳なので、これ以上に特長があっては驚く妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川も三勝もおもじゅんも皆同じ顔に考えていたかも知れない。つまりこの人形の小春こそ日本人の伝統の中にある『永遠女性』のおもかげではないか。」
1923年以前は国外、印度や支那に関して、その後関西を戻ってから改めて日本の伝統文化に関心を再度持ったが、言説はオリエンタリズム的だった。 陰翳礼讃は「日本回帰」の時期に書かれた名作で、日本と西洋の文学、伝統芸能、建築、思想などを比較しながら、日本人の伝統的な美意識や、東洋と西洋の美的感覚の相違について考察した作品。 日本式のトイレは、母屋から離れた庭の陰にあり、薄暗く静寂な空間で、精神的に落ち着く場所である。西洋式のトイレは、白い便器や明るいタイルに、ギラギラ光る金属の取っ手は、便利だが、日本のトイレの美的な空間を壊してしまう。
『陰翳礼讃』1933–34
出典:国会図書館デジタルコレクション
「思うに西洋人の云う『東洋の神秘』とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう。われらといえども少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寂りを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている塵を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はたちまちの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(『日本評論社』1933–34年)
西洋は理性・光・文明で、東洋は非合理的・暗い・未開を象徴するという図式は、西洋オリエンタリズムの偏見に過ぎないのではないか。あ る種逆オリエンタリズムともいえるのかな。 ta.icon
ただ、西洋のキリスト教のステンドグラスなど光を大切にしてたよね。事実とオリエンタリズムの境目難しいね。ta.icon
「案ずるにわれ/へ、東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと言うことに不平を感じず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って止まない。蝋燭からランプに、ランプからガス燈に、瓦斯燈から電燈にと、絶えず明るさを求めて行き、僅かな陰をも払い除けようと苦心をする。」 谷崎潤一郎『陰翳礼讃
「東洋人が、陰を好み、それが東洋人の進歩の妨げになった」という谷崎の主張は、西洋人が東洋に対して抱いた偏見めいた眼差しではないかという指摘がある。
要は東洋は暗いのが好きだから、発展、進歩しなくても良いのである的な論理になってるね。ta.icon
自己オリエンタリズム的な言説かな。