オルダス・レナード・ハクスリー
Aldous Leonard Huxley
オルダス・レナード・ハクスリーは、二十世紀の文明が自己増殖する技術と欲望の圧力に晒される只中で、精神の自由と共同體の徳の均衡を追ひ続けた作家だ。1894年7月26日、サリー州ゴダルミングに生れ、父は評論家レナード・ハクスリー、祖父は博物學者トマス・ヘンリー・ハクスリー、兄は生物學者ジュリアン・ハクスリー、異母弟は生理學者アンドルー・フィールディング・ハクスリーといふ知の家系に育つ。少年期、角膜炎の後遺症で視力を深く損なひ、軍務の道を閉ざされる。此の不遇が、外界の細部に頼らず観念と声音の綾で世界を組み直す思索の習慣を鍛へた。イートン校を経てオックスフォード大ベリオール・コレッジに進み、英文学を修め、第一次大戰後の英國文壇に登場する。
ハクスリーの初期小説『クローム・イエロー』や『反時代的』は、戦間期の上流知識人社交圈を冷ややかに解剖し、人間の滑稽と虚飾を音樂的に配置する。此のアイロニーは、文明批評の倫理と繋がる芯の強さを持つ。彼は、機械と市場が人間の欲望を均質化し、魂の抑揚を奪ふ過程を執拗に観察した。頂点は『すばらしい新世界』だ。育種と條件づけと麻薬的娯樂で維持される安寧は、自由な精神をどの地点で窒息させるか。彼は快樂と統治の結託を描き、個人の自治と共同體の秩序の衝突を、生理と形而上の兩面で検めた。此の小説が倫理學と政治哲學の必読書となる所以は、権力が暴力では無く合意と快感を媒介に増殖する一九三〇年代の感覚を、寓話に沈めた構造にある(「ソマ」的手段が象徴するのは、苦痛の消去では無く判断の遅鈍だ)。
1937年、彼は米國に渡り、ロサンゼルスを拠点に脚本と評論の仕事に携はる。ハリウッドの工業的叙述法と交渉した経験は、彼の文明論を具体化した。大量生產の物語は、人間の關心を規格化する。然し彼は、藝術の形式そのものに救済を託さない。藝術は感覚を鍛へる道具であり、倫理の証明では無い。彼の散文は、此の冷徹な距離を保ちながら、読者の精神に微細な注意力を呼び戻す節度を持つ。
思想の軸は二本だ。第一に、経験の陶冶。『知覚の扉』及び『天国と地獄』に於いて、彼はメスカリン體験を精査し、意識の濾過装置が緩む時に現はれる「此処」と「今」の無辺を叙述する。それは耽美的逃避では無く、宗教比較と神經科學の中間に置かれた実験だ(「常識」は生存に有用な刈込みであって実在の全體では無い、との認識)。第二に、宗教の比較学。『永遠の哲學』で、プラトン、マイスター・エックハルト、仏教やウパニシャッド、ウィリアム・ブレイクらの言葉を並置し、人類の神秘傳統に共通する直観のコアを抽出する。彼の宗教觀は教義より修養に傾き、死生觀は「自我の縮減」と「注意の浄化」を通じた解放に重心を置く。ヴェーダーンタ協會との交遊や僧プリヤヴァナンダとの學びは、英國自由主義の理性主義を補綴し、内省の技藝へと向けた。
彼が受けた影響を辿れば、家系における自然科學の厳格さ、ウィリアム・ジェイムズの多元的経験論、デーヴィッド・ハーバート・ロレンスの生命主義、ウィリアム・ブレイクの象徴詩学が核に置かれる。逆に彼が與へた影響は、ジョージ・オーウェル やレイ・ブラッドベリのディストピア文学、ティモシー・リアリーや[ハンター・S・トンプソンの意識文化、行動科学と宣傳研究、メディア論に及ぶ。彼の視線は常に「統治技術」が人間の深部に及ぶ経路を予見した。『すばらしい新世界 再訪]』では、暴君の棍棒よりも広告、教育、娯樂が効果を持つ近代の構造を、統計と記述で解き、人口爆発と資源制約の問題を接合する。彼の警告は、情報の過剰が判断の希釈へ転化する現代の平板を、先取りした。
私生活に目を移せば、1919年にマリア・ニスと結婚し、子マシューを得る。1955年に妻を病で失ひ、翌年、演奏家ローラ・アルケラ・ハクスリーと再婚する。交友は広く、ジェラルド・ハードと共に精神修養と科学の交差點を探り、講演と書簡で若い世代に開かれた議論の場を作つた。彼の人柄は、皮肉の刃を鞘に納めた静かな礼節に特徴があつたと言はれ、議論の相手に恥をかかせぬ言葉の運びを尊ぶ氣品があつた。趣味は讀書と散策、音樂鑑賞で、視力の制約はあれど、聴覚的世界に織り込まれた細部を審美の糧とした。
晚年、彼はユートピアの反詩として『島』を著し、相互扶助、意識訓練、分散的自治が織り合はさる共同體の素描を試みた。此処での理想は、快楽の麻痺では無く、苦痛と歓喜の両方に耐へる筋の鍛錬だ。欲望を抑圧するのでは無く、欲望の速度を調律すること。科学は敵では無く、倫理の徒弟だ。1963年11月22日、ロサンゼルスにて逝去。彼は最期に穏やかな移行を望み、伴侶の介助の下で意識の調律を選択したと傳はる。同日にジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺の報が走り、C・S・ルイスも世を去る。世界が轟音に攫はれた日に、彼の死は静謐の側に属した。
ハクスリーから學べることは簡潔だが重い。第一に、知覚は倫理に連なる。人は見え方の奴隷になる。故に注意を鍛へ、名づけの機械に抗ひ、事物を新鮮に凝視する鍛錬が要る。第二に、自由は制度だけの産物では無い。欲望の管理が外から内へ移るとき、自由は悦楽の貌で拘束される。第三に、伝統と実験は敵對しない。古典の智慧は、現代の心理學と神經科學に照らされ、再活性化する。彼の散文は、此の三つを揺るぎなく結び、讀者の思考を「深く且つ軽く」動かす。
年譜を骨に添へれば、1921年『クローム・イエロー』、1923年『反時代的』、1928年『恋愛対位法』、1932年『すばらしい新世界』、1936年『無眼視界(アイレス・イン・ガザ)』、1939年『幾とせの後(アフター・メニ・ア・サマー)』、1945年『永遠の哲學』、1954年『知覚の扉』、1956年『天国と地獄』、1958年『すばらしい新世界 再訪』、1962年『島』と続く。並行して脚本や評論、講演を重ね、1940年代の映画『プライドと偏見』脚本参加など大衆文化の現場とも接続した。活動の場は英國から米國へと移り、時代背景は二つの大戰、冷戰の膠着、人口と資本の加速で彩られた。彼の文は、その速度の中で「遅さ」を救ひ出し、精神の持久力を讀者に返す。
すばらしい新世界
『すばらしい新世界』は1932年のロンドンで刊行され、モダニズム終盤の文明批評の流れの只中で異彩を放つ。物語は「世界国家」の統治者ムスタファ・モンドと、野蛮人居留地から連れ還られたジョン、都市のアルファ階級の逸脱者バーナード・マルクス、看護技師レニナ・クラウンの交錯を軸に進み、第一次大戰後の大量生産と精神科学の進捗に触發された倫理の岐路を示す。冒頭の「孵化・条件づけセンター」見學に於いて提示された試験管とスローガンは、終盤の「燈台」孤絶へ反復し、幸福の条件と自由の代償とが静かに露はになる。刊行年は1932年、作者はオルダス・ハクスリー、舞臺は西暦2540年に相當するAF632年のロンドンだ。AFはフォード以後を意味し、T字は十字の切頭として崇拝の記号に轉用される。キャストはアルファからイプシロンに分化し、睡眠學習(Hypnopædia)と薬物ソーマが不快の痕跡を消す。此の制度と語彙はテクストの可視的装置であり、同時にフォーディズムへの寓意だ。
主要場面は三つの織りで成る。第一に、「孵化・条件づけセンター」—生殖の人工化とカースト配分が、ヘンリー・フォードの組立線の神話化と重なり、世界国家の標語「共同性・同一性・安定」が掲げられる。宗教は切頭のTとして世俗化し、讃歌と儀式が集團的陶醉を生む。此処でバーナード・マルクスの違和の身振りが微かに鳴り、制度の音程から外れた個が提示される。第二に、「野蛮人居留地」—シェイクスピアの言語が保たれたままの共同體で、ジョンが誕生する。彼の母リンダのシーンは官許的快樂の陰影として機能し、祖型的な母の痛みと都市の無痛が對照される。第三に、「統治者官邸の對話」—ムスタファ・モンドが藝術・宗教・科學の自由を「安定」のために棄却したと論じ、島流し(ヘルムホルツ・ワトスンとバーナード)の寛容と、ジョンの「拒絶」の孤高が分岐する。モンドの論駁は、最大幸福の功利主義が失ふ価値(悲愴・深さ・危険)を冷やかに列挙する(ジョンが口にするシェイクスピアは「苦痛を欲する権利」の詩的論證だ)。
語りは三人稱の移動視点だ。早いカット割の章構成が都市の分節を映し、説明的対話がイデアの実験場として働く。開巻三章は殆ど論文の骨組で、プロットはアイディアの變奏として鳴る。文體は標語・広告・儀式の断章を挿入し、反復で条件づけのリズムを擬態する。此の操作は「物語の肉薄」を弱めるとの早期批評も招いたが、逆に装置の見える化が本書の冷光を作つたと言へる。
時代背景を織り込むなら、本書は第一次大戰の破壞、九年戰爭の神話化、經濟恐慌の後景に立つ。フォード式大量生產とフロイトの欲動理論の通俗化が、宗教と心理の置換を駆動し、ユージェニクスの時代空氣が胚培養の比喩に滲む。ハクスリーは1946年の序文で、若き日の冷笑に悔意を洩らし、藝術的欠點を認めつつも書き換へは虚しいと述懐した。晩年の評論集『すばらしい新世界 再訪』(1958)では、広告・群集心理・生政治の圧に世界が肉薄したと総括し、当初の寓意が現実の制度へ近接したと診断した。
宗教的層位は、聖性の転倒に顕著だ。十字はTへ、主の名は「わがフォード」へと轉位し、儀礼は性・消費・同調のエクスタシスを演出する。此の世俗神学は、禁欲的圧政と対照的に、快楽的圧政の輪郭を明らかにする。ムスタファ・モンドは殉教者の不在を安定の代償として肯んじ、ジョンは鞭打の自己犠牲に救済を求めて破滅する。救済は制度からは來ず、悲哀の引受へとしてしか見出されない。
比較文学の視座からは、前代のH・G・ウェルズ『人のごとき神々』のユートピア楽観への反撥がまず鍵だ。ハクスリーはウェルズ的合目的の合理を諧謔へ反轉し、管理と慰撫の連結を暴露する。他方、ザミャーチン『われ』との親縁も論じられ続けた。オーウェルは影響関係を主張し、英米では〈『われ』—『すばらしい新世界』—『1984年』〉の系譜が語られた。ハクスリー自身はウェルズへの逆照射こそ執筆の動機だと記し、同時代の反応も複層だ。結論として、ハクスリーの特異性は、禁圧の恐怖ではなく、快楽と消費がもたらす従順の甘美さを制度化した点に存す。
受容史は毀誉褒貶が併走する。刊行直後の反發は、性と家庭観への攻擊、宗教冒涜の嫌疑、物語性の弱さなどに集中した。アイルランドによる1932年の発禁は象徴的で、その後も米國の學校で度々挑戰を浴びた。一方で二十世紀末の再評価は決定的で、モダン・ライブラリーは二十世紀英語小説の第五位に列し、BBC「ビッグ・リード」にも名を連ねた。議論の震央は、表現の自由と教育現場の選書倫理に移行し、禁止運動は逆説的にテクストの公共性を増幅した。
象徴と伏線は、色・薬・機械の連鎖に見える。階級色の制服、ソーマの恍惚、障害ゴルフ、感覚映画「フィーリーズ」、睡眠學習の反復句が、それぞれ制度の内部音樂を奏でる。ジョンが口ずさむシェイクスピアは、言語の古典的重力として配置され、レニナ・クラウンへの呼びかけ「淫奔の女」(オセローの反響)が彼の倫理的極北を示す。此の言語衝突は、標語の平板さと詩の深みの差異を可視化し、終局の自罰へ伏線を牽く。
制作背景に就いて補足すれば、ハクスリーの家系は科学と近縁で、優生學時代の知的空氣が本書の化学的胎内環境の観念に關はる。だがテクストの核心は遺傳より条件づけへ重心が置かれ、育成と環境の制度化が主題を牽引する。此の強調は、科学の技術的可能性と政治の管理欲求の結託を照らす。1946年序文と1958年再訪は、此の読みを作者自身が反芻した資料として重要だ。
結語。『すばらしい新世界』は、近代の二分法—自由か秩序か—を、快楽を媒介とする第三の統治術へ反轉させた。痛みを除去する装置が、悲劇と祈りの語を奪ふ時、藝術・宗教・科學の自由は同時に痩せる。ジョンの破局は、自由を「危険と悲愴を含む選好」と定義し直す詩的断言だ。監視より鎮靜、禁欲より過剰、恐怖より慰安が社会を支配する時代に、本書は依然として現在の寓話だ。検閲と復権の反復は、その寓話性が公的領域の倫理的討議を促す証左だ。此の小説はなお、現代の情報環境—注意の経済、快樂の設計—に照らし、自由のための苦痛をどこまで引受けるかと問ひ續ける
すばらしい新世界 青森望訳 2017 は大変読みやすく新作SFを感じた。
大量生産・大量消費を目的に作られた最小不幸世界。ただ、最小不幸世界は最大幸福世界になりうるのか。ta.icon.
フォーディズムを風刺した別の作品としては、
チャールズ・スペンサー・チャップリン「モダン・タイムス
」1936がある。
https://scrapbox.io/files/68fd57b1d5a072dc8565736f.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/オルダス・ハクスリー