ウラジーミル・プロップ
ウラジーミル・プロップ(Владимир Пропп)
ウラジーミル・プロップはロシアの民俗学者であり、構造主義的物語分析の先駆者として二十世紀文学理論に深い影響を与えた。1895年4月29日、サンクトペテルブルクに生れ、幼少よりロシアの口承文学や神話に親しんだ。大学ではサンクトペテルブルク大学に学び、言語学と民話の比較研究に没頭した。ロシア革命後の社会的混乱の中で、彼は「民話の形態」(Морфология сказки, 1928年)を著し、物語を構成する基本的単位を抽出する試みを行つた。この著書は後にレヴィ=ストロース、ロラン・バルト、ツヴェタン・トドロフらの理論的出発点となる。
プロップの思想は、民話を単なる娯楽ではなく「行為の構造」としてとらへる点に特徴がある。彼は民話の登場人物を「英雄」「贈与者」「助力者」「悪役」「姫」「送り手」「偽英雄」といふ七つの機能的役割に分類し、さらに三十一の行為機能(結婚、禁令、違反、贈与、試練、帰還など)を抽出した。(31の機能の連鎖)これにより民話の「形式的骨格」が明示され、文学を科学的に分析し得る基盤が確立された。
プロップの思想の根底には、宗教的ではなく構造的秩序への信仰がある。彼は人間の物語生成力の中に、社会的無意識のパターンを見出した。民話は民族の集団的記憶の表現であり、彼にとつて語りとは「共同体が己の世界像を再生産する儀式」であつた。又、彼の理論はフランス構造主義、記号学、映画理論、さらには現代ゲーム研究にも受け継がれ、「物語とは機能の連鎖である」といふ視座を与へ続けてゐる。
生涯の後半、プロップはロシア民俗の起源、儀礼、笑話などを研究し、口承文化の社会的意義を明らかにした。彼の分析法は形式主義の批判を受けつつも、文化を「構造として理解する」思想的基盤を築いた。1969年8月22日、レニングラードにて逝去。彼の残した理論は、言語・記号・社会の全体を貫く「物語の力」を指し示すものであった。
ロシア・フォルマリズム(Русский формализм)は、二十世紀初頭のロシアに於いて誕生した文芸理論であり、文学作品を「形式(форма)」の体系として厳密に分析しようとする学派の総称である。1910年代半ばから1930年代初頭にかけて活動したこの運動は、文学を社会的・心理的・道徳的表現としてではなく、言語の自律的構造体として捉へる革新的な視座を提示した。構造主義、記号学、現代文学理論の起点ともなり、文学という現象を科学的に理解しようとする近代的批評精神の先駆を成した。
ロシア・フォルマリズム
ロシア・フォルマリズムは、1914年頃にサンクトペテルブルクで設立された**詩の言語研究会(ОПОЯЗ, Общество изучения поэтического языка)と、モスクワ言語学サークルに端を発する。第一次世界大戦とロシア革命を挟むこの時期、社会は急激な変動の中にあり、芸術家や思想家は「文学とは何か」という根源的問いに向かひ直した。従来の文学批評が作家の伝記や社会的主題に偏重してゐたことに反発し、彼らは文学を文学たらしめる要素(литературность, 文学性)**を探究した。
[文学を文学たらしめている物
ソビエト、唯物論的。方法論的には唯物的であつた。彼らは観念や内容ではなく、「形式という物質的構造」に文学の本質を見た。
1917年の論文『芸術としての技巧』に於いて、芸術の目的は「事物をその感覚のままに見せること」にあり、日常的知覚の自動化を破壊することにあると述べた。言葉や形象をあへて奇異にし、読者に新鮮な認識を迫る働き、これを「異化」と呼んだ。文学は現実の模倣ではなく、現実を見直させる装置であり、その技巧(приём)**こそが芸術の本質であるとされた。
機械論的思考
昔話の形態学1928
プロップは無数のロシア魔法昔話(民話)を分析し、物語の共通構造を見つけ「生成と変形の結果」と捉へ、各物語の部分を(行為)と全体(物語構造)の関係を体系化しようとした。民話の内容で無く、、形式=構造=法則性を対象とするもの。
機能とは、登場人物の行為であり、しかも筋―出来事全体の展開過程にとつて当の行為がもつ意味(位置)という観点から規定された行為のこと。
たとへば「王が勇者に馬を与へる」「魔法使ひが小舟を与へる」「姫が指輪を与へる」という異なる物語でも、いづれも「助力者が英雄に贈与する」という同じ「機能」を果たしてゐる。
結果的にロシア魔法民話の型は1つであると結論つけた。
プロップの『昔話の形態学』は、自然科学の「形態学(モルフォロギー)」に倣つて、
物語を有機体のように構造的分析した試み
この考へは後に、レヴィ=ストロースの神話構造論や、バルト・グレマスらの記号論的物語論に継承された。プロップは文学を「意味」からではなく「形式」から理解するという、構造主義的発想の原点を築いたのである。