選択(プロアイレシス)
「選択の過ち」についてのメモ
悲劇には、何らかの「大きな過ち」が関わっている。
それは、いわゆる「主人公」の、その場面での行為の「選択」に関する誤りである。
この「大きな過ち」は、それ自身は「些細な(知的)過ち」に由来するとしても、そのコンテクストゆえに「大きな(道徳的)過ち」をもたらすことになるような「選択の過ち」である。
そして、ここに関わる「選択の過ち」は、彼がそのような「性格の人」でなかったならば、なさなかったような選択であるかもしれないという点では、単なる「知的な過ち」ではない。
「選択の過ち」は、「欲求と認識の統合」に関わる過ちである。
オイディプス王は彼が彼のような性格の人でなかったならば、諍いをおこさず道を譲るという選択をしたかもしれない。悲劇は起こらずともすんだのだ。 いずれの結果が生じるとしても「神意」やら「運命」を持ち出す必要はない。
アリストテレスは、その人が、その行為によって「問題となる道徳的過ち」をもたらすことになることを知りながら、そのように行為する場合を、典型的な「悲劇」であると考えたくはない。