論理哲学論考
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「私にはどれだけのことが考えられるのか」という問題についてのアプローチ by 野矢茂樹
「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」
「論理がアプリオリだというのは、論理に反するものは思考不可能ということに他ならない」
結論
言語表現(芸術活動や宗教など主観に立脚するものは除く)は世界を描写するためのもの
哲学はその言語表現の命題の論理構造を説明するためのものであるべき
西洋哲学はトートロジーである命題に対して解釈を増やしてきたが、結局は何も示していない
命題は常にトートロジー(同語反復)によって真偽が示される
「AはBである」のBはBのみで存在を説明できない(確かに)し、Aという主語に含まれた事柄以上の事を論じることはできない
人には人の論理空間があり、その人の言語の限界が論理空間の限界である
以下は定義メモ
事実
現実に成立していること
歴史的な事実
事態
可能的な事実(可能性)
諸対象の総体
対象は事実を構成する個々のもの(名)
関係性や性質も含む
思考
論理構造が明晰である。自明である
事実の論理像
命題の総体である
そして知覚可能な形で表される
語りうるものである
命題
正しく構成されているものであれば意味を持たねばならない
構成要素に意味を持たせる(要素命題)
像
真なる思考の総体
音楽活動とか
フレーゲ「概念記法」「算術の基本法則」
ラッセル「数学の原理」