規範と逸脱の歴史的動力学
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このような規範と逸脱の動力学は、まさにアートヒストリーのアナロジーで理解できる。アートの世界でも、規範を逸脱するような表現がいくつも登場してきた。その多くは単に黙殺されてきただろう。しかしその中で、当初は批判されつつも支持を集め、結果として美術史に登録されたものがある。例えば印象派、キュビズム、フォービズム、もの派など。そういった、今日我々が知るトレンド(芸術運動、アートムーブメント)も、最初は規範からの逸脱であり、批判の対象だった。 ついでに言えば、「〜派」「〜イズム」などの言葉は、当初は蔑称だったものが次第に正式名称として定着したものも多い。それらの運動が当初は逸脱として始まったことの動かぬ証拠だ。
忘れがちだが、iPhoneだって最初から理解されたわけではない。「こんなもの流行るはずがない」という懐疑的・批判的な意見の方が多かったと思う。そもそも最初から全員に理解されるものは、規範からまったく逸脱していないということになる。逆に言えば、新たなトレンドを作りたい者は、万人に理解されることをしてはならない。
iPhoneが作り出したスマートフォンのあり方が、現在のファッショントレンドになっている。これはあくまでトレンドであって、将来は分からない。ブラックベリー型やスタイラス型、あるいはフィーチャーフォン型の復権もありえると思う。
技術にばかり関心が向いている人は、「携帯電話はスマートフォンに進歩した」と考えがちだ。単純な進歩史観。しかし、実際にはそうではない。 例えば、なぜ2020年にアナログレコードが売れているのか。「中高年の懐古趣味」では説明がつかない。若者に人気なのだから。彼らは技術的に優れている(と一般に思われている)配信やCDよりも、劣った(と一般的に思われている)アナログレコードを好む。これが美意識だ。技術の問題ではない。 同じことが携帯電話についても言える。そもそも携帯電話にはアクセサリー(服飾小物)としての役割もある。ファッショントレンドの変遷と無関係なはずがない。
冒頭の問題意識に戻る。「アート的な思考」という言葉は、本来こういう思考を指すべきだと思う。規範と逸脱の歴史的動力学という枠組みを用いて状況を分析する思考。より抽象的に言えば、過去を参照しながら規範を逸脱していく再帰的な経路依存性において、社会の運動性を理解するということ。 「再帰的な経路依存性」を言い換えれば、要するに「新しいアイデアは無から生まれることはなく、必ず過去の歴史の中から再発見されたものの変奏として現れてくる」ということを「再帰的」と呼んでいる。 また、「過去にこうだったから、今こうなっている」という歴史的経緯が全ての物事を制約しているということ。そこから自由な逸脱や飛躍など人間社会にはありえないという制約、あるいは法則のことを「経路依存性」と呼ぶ。(余談だが、経路依存性への意識は、良い意味で、そして本来の意味での保守主義に通じる)